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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
愛されるより愛することができる人間が尊い
みんな愛される人間になりたいと思うが、仏は愛されることよりも、愛することができる人間になりたいと思う。

人を愛することは、親になったらできるというものではない。親になったからと言って、子供のことを愛するようになる訳じゃない。

愛するとは、その人の存在を心から大事に思い、大事にすること。多くの場合、頭では大事にしなけれぱならないと分かっていても、子供が言うことを聞いて可愛い時は大事にしてあげたいと思っても、言うことを聞かずに憎たらしく思うと、大事にする所か、傷つけたいと思ってしまう。

大事にするとは、都合が良くても悪くても、その人の心を守り、育ててゆくこと。それは相手のことよりも、まずは自分の心に対して都合が良くても悪くても、大事にし続けることが大切。都合と関係なく、自分の心を大事にし続けることができるからこそ、相手のことも都合が悪くなっても、温かい心で接してゆくことができる。

すべては自分から始まる。自分に対してやっていることが他人に対してもやってしまう。相手を愛する為には、自分の中にある都合の悪い自分のことを嫌いにならずに、好きになってあげること。たとえみんなから嫌われるような自分が見えたとしても、私だけは嫌いにならずに、都合の悪い自分を受け止めてあげる。その積み重ねが他人に対しても愛することができる人間になるのだと思いました。
散らかしてくれるから有り難い
子供がいると有り難い。片づけても、片づけても、散らかしてくれる。おかげで欲に流れることができず、片付けばかりしている。

もともと私はズボラでだらしない性格だが、子供がいるおかげで、いつも片付けをすることができる。散らかしてくれる人がいるからこそ、片づけることができるし、片付けの習慣が身につく。

人生とは、徳を身につける為にある。片付けることも徳。それは自分の出したものを片づけているだけでは身につかない。片づけても、片づけても、なおも散らかしてくれるからこそ、片付けることが習慣となる。

子供は自分が徳を身につける為の良いご縁。片付けることが楽しくなるまで続けてゆきたいです。
仏智不思議をうたがひて
仏智不思議をうたがひて 善本・徳本たのむひと 辺地懈慢にうまるれば 大慈大悲はえざりけり

どんな極悪人も救うという阿弥陀仏の本願を疑って、価値が無くなったら見捨てられると思って、自分の唱えた念仏をあて力にする人は、自分が救われたら楽ができると思っているので辺地懈慢にしか生まれない。だから、求めているものが間違っているので、大慈悲を起こすことはないのです。
自力諸善のひとはみな
自力諸善のひとはみな 仏智の不思議をうたがへば 自業自得の道理にて 七宝の獄にぞいりにける

善はやらなければならないものだと感情の声を無視してやる人は、感情を大事にして、この感情こそ幸せにならなければならないという阿弥陀仏の不思議な仏智を疑っているので、感情を無視した報いで、いつも心が善をしなければならないと自分を縛る世界から離れられないのである。
信心のひとにおとらじと
信心のひとにおとらじと 疑心自力の行者も 如来大悲の恩をしり 称名念仏はげむべし

まだ阿弥陀仏に救われてない人であっても、阿弥陀仏に救われた善知識から教えを受け、智慧を頂き、自分の身の幸を感じたならば、善知識と同じように、仏法をご縁のある人に伝えてゆきなさい。

それは阿弥陀仏に救われたかどうかは関係ない。教えを受け、智慧を得たならば、どんな人も知らされた智慧を広め、伝えてゆかなければならないのです。


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