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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
善知識に会えるかどうか
よく煩悩は死ぬまで無くならないという人がいます。確かに煩悩を問題にして、煩悩を無くそうと取り組んだ人ほど、自分の心の内側から吹き上がる煩悩はどうにもならないと知らされるものです。

しかし、煩悩がどうにもならないと思うのは、智慧が無くて、どうしたら煩悩が無くなるか分からず、吹き上がる煩悩を問題にして無くそうとしているからです。

煩悩は無くしてゆく方法があります。

正しい方法を知り、その通りに実践したならば、どんな人も煩悩は少なくなるし無くなります。

だから、煩悩は無くなりもしなければ減りもしないという人は智慧を持たれた善知識に会ってないからです。

私たちには智慧がありません。だからこそ、智慧を持たれた方がどうしても必要であり、その人と出会えるかどうかが、煩悩から離れ、苦しみを無くしてゆけるかどうかが決まります。

善知識に会えなければ、正しい方向も分からず進むようで、頑張った努力も無駄になります。

努力が報われるかどうか、それはひとえに善知識に会えるかどうかが決まるのだと思いました。
結果を受けるまで反省しない
私たちは未来のことを考えているようで考えていません。いつも目の前のことだけを見て、今日や明日が無事過ぎてゆけば、このまま未来も同じように過ぎてゆくと思っています。

しかし、試験などを受けて、結果がやってきた時、今までのやりかたでは間に合わなかったと知らされます。

多くの人は試験がやってくる前に、このままの状態では試験に落ちるよと教えます。

でも、当の本人は、今日や明日何事もなく毎日を過ごすことができるので、このまま未来も何事もなく過ぎてゆくと思っているのです。

だから、試験がやってくるまで、このまま過ごしてしまうのです。

そして、試験を受けて、そこで後悔する。自分は今まで何をやっていたのだろうとなるのです。

そこで初めて自分の生き方を反省します。このままではいけないと思うようになるのです。

でも、私たちはそれは試験を受ける前から分かっていたのだから、試験になる前に気づいて欲しいと思います。

そして、このままではいけないと教えます。でも、その人が未来を想像しなければ、やっぱり毎日が何とかなっているのだから、このまま進んでも大丈夫だと思ってしまうのです。

人間が今までの生き方を反省する時は、結果を受けた時。たとえ結果を受けても、受けた結果から逃げてしまえば、どんな結果を受けても反省することはありません。

失敗を通して良くなるか、変わらないか。それはその人がその結果をどれだけ前向きに受け止めるかで決まります。

できれば、現実から逃げず結果を受け止めてゆきたいですね。
苦しみはどこから生まれるのか
苦しみはどこから来るのか?

それは自己否定の心から生み出されます。

悪いものを責める人は、自分が悪になったならば、自分を責めます。この時、苦しみます。

だから、悪を責めなければ、自分が悪になったとしても責めることがないので、苦しむことはありません。

でも、私たちは責めることによって正しい所に立ちます。だから、自分を責めている時は、自分は正しい所に立っている時なのです。

私たちは自分を責めてでも、正しい所に立ちます。それは正しい所にいなければ、自分は見捨てられると思っているからです。

見捨てられたくないから正しい所に立つ。それは自分を責めて苦しんだとしても、見捨てられるのではないかと思うよりはマシだと思っているのです。

この見捨てられる不安がある限り、私たちは正しい所に立って自分を責め続ける。そして、苦しみ続けなければならないのです。

仏法は幸せになる教えというけれど
仏法は幸せになる為の教えと言うけれど、現実には仏法を聞いてゆくと今まで楽しかったものが楽しくなくなってゆきます。

それは私たちが幸せと呼んでいるものが優越感だからです。優越感は自分が上になった時に喜ぶ心。

それは同時に下を見下す心でもあります。

下を見下すと、自分が下になった時に苦しむ。だから、私たちの幸せは同時に苦しみも生み出すものなのです。

このことが仏法を聞いてゆくと分かってきます。だから、苦しみたくないという気持ちから、優越感を味わうことが幸せではなくなる。

だから、私たちの感じる楽しみが楽しみでなくなってゆくのです。

幸せになる為には、まず苦しみから離れなければならない。

その際に幸せと感じていたものも幸せとは感じなくなってしまうのです。
仏法は聞いているだけでは進めない
仏教は聞いているだけで分からないことがあります。

だから、聞くだけでなく、聞いたことを実践することが大事です。実践してみて、聞いたことが本当はどういうことなのかが分かります。

そして、実践すると、また疑問がわいてきて、聞きたくなる。そうやって、聞いては実践し、実践しては聞いてゆくを繰り返して、信仰は進んでゆきます。

だから、質問がないというのは、聞いているだけで、実践していないからです。

実践を通して知らされてゆくものが仏法であり、また、聞きたいという気持ちも強くなる。

仏法は聞いているだけでは進めないのですね。


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