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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
今が分かれば未来を変えることができる
よく何のために生きているのか分からないという人がいる。
それは将来こんな自分になりたいというイメージがないから。イメージがないと人は楽しみを追い求めて生きるようになる。
今日が楽しいかどうか。楽しければ何事もなく、その日が過ぎるし、楽しくなければ、つまらないと言って、何のために生きているのか分からなくなる。

人は何のために生きているのか?

それは今まで自分がどんな思いで生きてきたのか。そして、その結果、今どうなったのか?この因果関係が分からなければ、未来の自分は見えてこない。
多くの人は自分の理想にすがって、こうなりたいと思っているが、ほとんどの場合、それは現実の自分が見えてないので、打ち砕かれる。そして、未来自分はどうなりたいか分からず、毎日を生きるようになる。

未来を変えるには今を知るしかない。今の自分が分かれば、未来の自分をどう変えたらいいのかも分かる。現実を知らない限り、未来を変えることもできないなあと思いました。
今あるものを心を込めて使ってゆきたい
できれば、残りの人生、自分に与えられたものを大事にして生きてゆけたら幸せだなと感じます。

世の中では、自分の欲しいものが何でも買えるお金があったら幸せかのように思われていますが、どんなに高価なものに囲まれても、それを大事にすることができなかったら、自分の心は幸せにはなれない。

幸せも苦しみも自分の心から、どんな思いが起きているかで決まる。幸せになりたければ、自分の心から温かい優しい思いを起こし続けてゆくこと。それが大事。

その為には、多くのものを手に入れようと求めるのではなく、今あるものを心を込めて使う。自分に必要なものは揃っている。だからこそ、必要なものを心を込めて使ってゆく。そんな風に生きてゆけたら幸せだなと思いました。
いつか死ぬと思っていながら、全く死ぬとは思ってない
みんないつかは死んでゆかなければならないぐらい分かっている。
でも、その割には、癌にかかったりして、本当に死んでゆかなければならなくなるとショックは大きい。みんなそれほどいつか死ぬと思っていながら、本当に自分が死んでゆくとは思っていない。

人間、本当に死んでゆかなければないないとなったならば、生に対してしがみつく。死にたくない、もっと生きてゆきたいと思う。そして、どうしても死んでゆかなければないないとなると、自分の人生に対してこんなこともしておけば良かった、あんなこともしておけば良かったと後悔する。

みんないつか死ぬといいながら、本当に死を意識することはない。死を意識するとは、後からこうすれば良かったと思うことがないように今にしがみつくこと。そして、今を少しでも後悔がないように大事にするようになる。
いつか死ぬと本当に分かったならば、今を大事にするようになる。でも、大事にしていないとしたならば、いつか死ぬと思っていながら、全く自分が死ぬとは思っていない。

そう、人間とは、自分が死ぬとは思えないもの。何故なら、それほど自分が死ぬということは恐ろしいことだから。だから、死ぬのが怖いから、本当の意味で自分が死ぬとは思えない。そして、死ぬとは思えない自分に気づいてしまったならば、いつか本当に死ななければならないと分かってしまうので、いつか死ぬと頭で納得して、本当の死から目をそらしている。

無常を知るとは、自分は死なないと思っていることに気づくこと。そして、死を意識して、今を少しでも大事にしてゆくこと。生に対する執着は、今を大事にしてゆくことからしか取れない。無常を知り、今を大事にしてゆくことが人生を少しでも悔いなきものにしてゆくのだと思いました。
価値を求めること自体苦しみを生み出す
小さい時に十分に見てもらえなかった人ほど、煩悩が強くなる。それは何か価値のあるものを手に入れたならば、自分は認められると思うようになるからだ。だから、価値を求めて他人と争ってまで求めるようになる。その時、自分が思うように価値を手に入れたならばいいが、手に入れることができないと、手に入れている相手の存在を快くは思うことができず、否定するようになる。

人間ってなんて愚かなんだろうと思うが、どんなに手に入れたものを否定して、その人から価値を奪ったとしても、自分が価値を手に入れることができる訳ではないのに、まるで相手を否定すれば、自分の望んでいるものが手に入るかのように求めている。みんな価値を求めて、それが手に入らず苦しんでいる。でも、真実から言えば、手に入らないことが苦しみではなく、求めること自体苦しみを生み出す。

価値を手に入れるから他人から認められるのではなく、価値があるかないかに関わらず、自分の存在を見てもらうこと。それが大事なのですね。
自分の気持ちをわかってもらいたいからこそ、まず相手の気持ちを分かってあげる
どちらが正しい、どちらが間違いかを問題にするようになると、自分の中で正しいことをする為に平気で相手の感情を踏みにじるようになる。
その時の気持ちは自分は正しいことをしているのだから、それによって相手がどんな気持ちになっても自分には関係ないと思っている。

でも、そうやって正義を押し通すと、今度は通した正義が大きな山となってのしかかり、自分が間違っていた時に潰そうとしてくる。
だから、正義を一度通してしまうと自分の心を潰されたくないから、絶対に自分の間違いを認めなくなる。
だから、相手がどんなに心が傷ついたと訴えたとしても、その言葉がお前が悪いと言われているような気がして、自分は悪くないと正当化しようとしてしまう。

そういう人には、あなたは悪くないと言ってあげよう。だって、言いたいことはあなたが悪いことを認めて欲しいのではなく、私が傷ついていることを認めて欲しいだけだから。
それを相手は誰が悪いという風に変換して聞いている。
仏教から言ったならば、どちらが悪いなんて関係ない。そんなことどうでも良いこと。それよりも、こういうことで傷ついている人がいるから、そのことを分かって欲しいだけ。でも、そういうと自分だってこんなに傷ついているのだという話になる。
その話を静かに聞いて、悪かったねと言ってあげなければ、相手は私の気持ちを受け止めてくれることはできない。

自分の気持ちを分かってもらいたいからこそ、まず相手の気持ちを分かってあげる。それができなければ、相手に自分の気持ちを分かって欲しいと訴えても、はねつけられて受け取ってはもらえないのですね。


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