fc2ブログ
幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
思い続けているものが具現化する
この世界は心で思い続けているものが具現化してゆく。

だから、幸せになりたければ、自分が思う幸せを思い描いて生きてゆくことが大切です。

しかし、多くの人は幸せになりたくても、幸せになることを諦めて、思い描くことをしない。そして、心の中は不平や不満ばかり思っている。

心で不平や不満を思い続けると、それが具現化して、思い通りになりない世界がいつまでも続く。

そして、何でこんな思いをして生きていかなければなりないのかと思いながら、やっぱり思っているものは、苦しみの世界。

苦しみの世界を思い続けている限り、幸せになることはできません。

自分はどうなりたいか、どんな世界にしたいか、それを具体的に思い浮かべること、そして、それを諦めることなく求め続けてゆくこと。

それがその思いを叶える為に必要なことです。

まずは自分は何がしたいのかをハッキリさせること。それが幸せになる為の第一歩なんだと思いました。
修行は旅をしているようなもの
仏教は多くのものを求めることよりも、今あるものを大事にして育ててゆく教え。

今の環境がどんなに思い通りにならない、苦しい環境だったとしても、その環境を捨てて新しいものを求めるのではなく、今ある環境を少しでも幸せな環境に変えてゆけるように努力してゆく。

それは今の環境は今までの自分の心によって生み出したものだから。だから、そこを捨てて新しいものを求めても、やがて今の環境に変わってゆく。

だから、幸せになりたいなら、どんなに思い通りにならない環境であったとしても、そこと向き合い、変えてゆかなければならない。

その為に、自分も変わらないといけないし、人も育ててゆかなければならない。

自分が今いる環境は自分とまわりの人によって生み出されている。そして、まわりの人は今の自分の業に合った人が集まる。

だから、今いる人を捨てて、新しい人に移っても、自分が変わらなければ、結局、その人は自分の元から離れてゆく。

自分が変わらなければ、望んでいるものも得られない。だからこそ、自分がまず変わらなければならないのです。

その為に、修行に励んでゆかなければならない。世界は自分の心が変われば、変わってゆく。

心を変えるものが修行。

だから、人生はどれだけ修行して自分の心が変わったかによって世界も変わる。

そういう意味で修行とは、色々な世界を旅していることでもあります。

思い出に残るような人生の旅をしたいものです。
命をかけるところ
人生にとって大事なことは、どれだけお金を稼いたかではなく、どれだけ人間として成長できたか、それが大事なことです。
だから、頭の中はいつもどうしたら心を磨くことができるか、どうしたら何気ない毎日を修行に変えられるかに時間を使っていかなければならないのに、私は自分の時間をどうでもいいことに人生の多くの時間を使っていることに本当に反省せずにはおれません。

確かに生きる為にはお金は大切なものです。しかし、お金の為に生きているのではありません。お金を使って生きて何をするか。本当はそれが大事なことなのに、僅かなお金を増やす為に、人生の大事な時間を使っている自分がいます。

有難いことに生活する為に必要なお金に困ることはありません。だから、お金の為に生きる必要はないのに、それでもお金のことを考えている自分がいる。本当に迷っているなあと思います。

仏法は人を幸せにする教えであり、仏法の為に時間を使うことが人生にとって一番大事なことなのに、私はどれだけ仏法に命をかけているだろうかと思うと本当に反省せずにはおれません。

自分を変えることは時間がかかる。だからこそ、少しずつでも、こんな自分を変えてゆかなければならないと思います。

本当に大事なことに、大事な時間を使ってゆけるような人間になりたいものです。
一番危ない時
何事も大丈夫だと安心した時が一番危ない。いつも気をつけていることも気をつけなくなる。また、自分は大丈夫だと思って、よく考えずに行動するようになる。

その結果、大きな失敗をする。

だから、私は物事が上手く行っている時ほど、ここで気をつけなければと思うようにしている。

気をつけていたら、大きな失敗も小さな失敗で済むようになる。

それは大丈夫だと思って大胆に行動することがなくなるからです。

大きな失敗は大きく動いた時にある。

僅かな時間、僅かなお金を惜しんで事を急いだ時に、とんでもないような失敗をする。

急いだとしても結果は余りに変わらない。

だから、いつも大丈夫かな、大丈夫かなと石橋を叩いて落ち着いて行動したいものです。
幸せな子に育って欲しい
子どもと一緒にいても、一緒の空間にいるだけで、心の交流をする時間が少ないなあと感じます。

もちろん子どもから何か頼まれた時には気持ち良く動いていますが、それ以外は、子どもたちもスマホを見ているばかりで、私に声をかけてくれることもありません。

こうやって、子どもたちは大きくなってゆく。私は親として、何かしていることはあるのだろうかと考えてしまいます。

子どもにとって親は必要な時にいてくれるだけでいいのか、それとも、子どもの為に積極的に関わって、何かをしてあげたらいいのか。

感覚としては後者の方がいいと思うのですが、振り返ってみると、子どもたちの為にどれだけ時間をかけてきたのかと思うと反省させられます。

子どもたちには幸せになって欲しいと思います。

幸せになるとは、人生を自分を自分で考えて選択し、その結果に責任を持つことだと思います。

どんなに他人が悪かったとしても、他人が責任を取ってくれる訳ではなく、自分が受けていかなければならない。

だから、自分がどんな道に行きたいか、自分で考えて、自分で決めなければ、悔いのない人生を生きることはできません。

そういう意味では、親があれしなさい、これしなさいと言うのはおかしなように感じますが、それでも、これしたか、あれしたかと声をかけてしまう自分がいます。

やっぱり子どもがどんな大人になるのか、それは親がどんな風に子どもに接してきたかで決まります。

どんなに困難な現実でも、幸せな環境に変えてゆく。そんな智慧のある子に育って欲しいと念ぜずにはおれません。


プロフィール

上田祥広

Author:上田祥広
管理サイト
浄土真宗講義



最近の記事



ブログランキング

FC2ブログランキング



最近のコメント



カテゴリー



FC2カウンター



ネットサーフィンの鉄人

ネットサーフィンの鉄人



ブログ全記事表示

全ての記事を表示する



RSSリンク



てくてく…



お友達のブログ

このブログをリンクに追加する



グリムス