FC2ブログ
幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
相手を許せない人
よくあの人のことが許せないという人がいる。

この許せないとはどういう感情なのか?

許せないとは、相手の悪い所を見て、こういう所が許せないと相手を責める心。
でも、なぜ相手を責めてしまうのかと言えば、そうやって責めることによって、正しい所に自分を置きたいから。
他人を責める人とは、それ以上に自分を責める人でもある。
そして、他人が許せないというのは、それ以上に自分の中に許せない部分があるということ。
その許せない部分が相手を通して見せつけられるので、相手を否定することで、自分の許せない部分を見ないようにしているだけ。

でも、どんなに許せないと言って、相手を否定した所で、自分の許せない部分が変わる訳ではない。
最終的には、自分はこれでいいんだと思って自分を許してゆくしかない。

自分を許せば、相手も許せる。

相手を許す為にも、自分の嫌な所を見ても、許せるようにしてゆくしかないですね。
悪を責める人ほど自分の悪は認められない
私たちは、相手が一旦、悪いと認めたならば、その相手に対して容赦なく責める。

そうやって責めることで、溜まった負の感情を吐き出している。だから、責められた相手は責められることによって苦しむだけでなく、負の感情を受け取ることによって苦しむ。
この苦しみとは、悪いのは自分ではないかと思って自分を責める罪悪感。
だから、この苦しみは怒りの感情をぶつけられた後も続く。

私たちは負の感情が溜まると悪い奴を見つけて、その人を責めることで、負の感情を吐き出そうとする。

ところが、責められた人はお前が悪いと言って責められているので、負の感情を受け取って誰かを責めて吐き出したくなっても、悪いのは自分だと思って、自分を責めてしまう。
だから、責められた人は責められたことでも苦しみ、また、責められた後も自分で自分を責めて苦しむ。

しかも、一度責めると、責めた人は、責められた相手がどんなに苦しんでいても関係なく、負の感情が溜まると悪い所を見つけては責めてくる。
だから、責められることで自分が悪いと認めたならば、そのことによって、何度も何度も責められて苦しみ、そして、悪いのは自分だと思うので自分を責めて苦しむ。
だから、この苦しみを味わった人ほど、楽になりたい一心で責める側になろうとする。責める側とは相手は悪く、自分は正しいという立場に立つこと。それは、客観的に見たら悪いことをしていても、自分は正しいという所に立っている人。だから、悪い相手は、容赦なく責めるし、相手が謝っても、相手を許すことができずに、自分の気が済むまで、一方的に責めてしまう。

そうやって、責めれば責めるほど、自分の悪は認められなくなるし、正しい所に立って、悪い相手を見つけては徹底的に責めてしまう。

悪を責めるから悪は無くなる訳ではない。それどころか、悪を責めれば責めるほど、自分の悪は認められなくなって、悪をしていても悪を反省できなくなって余計悪をするようになってしまうのですね。

最も恐ろしい言葉
私たちは平然と、しかも正しい所に立って、あなたのこういう所が悪いと非難するが、このあなたは悪いという言葉ほど、相手を傷つけ苦しませる言葉はない。
なぜなら言われた人は何度も自分のこういう所が悪いという言葉を思い出し、自分は悪い人間なんだと思って自分を責めるからだ。
言った側はたった一回だけの言葉なのに、言われた側は何度も思い出し、その度毎に自分を責めて苦しむ。

しかも、自分を責めると苦しいから、悪いのは自分だけじゃないと思って他人を責める。そうすると自分の中に悪い奴は責めてもいいという罪悪が強くなる。だから、責められた人は、自分の悪い所が見えると、こんな所がある自分は悪いと自分を責める。しかも、強く責められれば責められるほど、自分が悪いと感じた時、強く責められているように感じて苦しまなければならない。だから、悪いと言われた人は、一粒で二度おいしいというように何度も何度も相手から言われた言葉が思い出されて、苦しみ続ける。

人間とは恐ろしい。そんな他人を深く傷つける言葉を私たちは何の悪気もなく、平然と相手の悪いところを直してあげようと、善いこと言ったつもりになって言っている。本当に人の心に対して無知なものが人間なんだと思いました。
不幸になって欲しい
人間って不思議なもので嫌な相手には不幸になってもらいたいと思ってしまう。
そこで不幸になって苦しめば、私の存在の大きさが分かって、私のことを大事にしてくれるのではないかと思っている。
これこそ幻想、人は苦しんだからと言って、今までの自分の生き方を反省するものではない。それどころか、苦しい時ほど、他人を恨み、自分の苦しみを他人のせいにして責めるもの。
だから、どんなに自業自得で苦しんだとしても、私の存在の大きさに気づいて、自分を大事にしてくれる訳ではない。

それなのに何故だろう。私たちは苦しい思いをすることで、自分が悪かったと認めるくれると思っている。これも深い迷いですね。

責めても負けは認めてくれないのに
人間ってどうして人の悪い所を責めたいという気持ちになるのだろう。
人にはみんな良いところがある。その良いところを素直にこの人にはこんな良いところがあると思って、いいなあと思えたら、いつも心は穏やかに過ごすことができるのに、目は他人の悪い所に注目して、この人にはこんな悪い所がある、正してやらないと思っている。
こんな心を無くしてゆきたいと思うのに、自分のことなのに、自分の心が言うことを聞かない。
きっとそうやって相手の悪い所を指摘することで、相手が自分の間違いを認め、下になって、自分の思いを汲み取ってくれるようになることを期待しているのだと思う。

人は負けを認めると下になってくれる。

だからと言って、相手の間違いを責めても下になる訳ではないのに、相手が反論できない程、徹底的に間違いを正したら、自分の言うことを聞いてくれるのではないかと思っている。
人間の迷いは深い。
責めても負けは認めてはくれないのに。



プロフィール

上田祥広

Author:上田祥広
管理サイト
浄土真宗講義



最近の記事



ブログランキング

FC2ブログランキング



最近のコメント



カテゴリー



FC2カウンター



ネットサーフィンの鉄人

ネットサーフィンの鉄人



ブログ全記事表示

全ての記事を表示する



RSSリンク



てくてく…



お友達のブログ

このブログをリンクに追加する



グリムス