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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
ありのままの自分を認めなければ
人は誰しも自分の存在を認めてもらいたいという心を持っています。しかし、ありのままの自分では認めてもらえないと思っているので、価値のある人間になったら認めてもらえると思っています。

認めてもらいたいから、価値のある人間にならなければと価値を求める。でも、どんなに価値を求め、価値のある人間になったとしても、価値を失うと見捨てられると思うから、どんなに認めてもらったとしても心が満たされず、心が渇き、もっと認められたいと思って価値を求め続けてしまうのです。

人は認めてもらいたいから、価値を求める。でも、価値を手に入れた人ほど、不安が増し、もっと多くの人に認めてもらわなければ安心できないと思ってしまうのです。

本当はたくさんの人に認められることが大切なのではなく、一人の人でもいいから、自分をさらけ出し、ありのままの自分を認めてもらうことが大切だったのに、それが分からないから、幸せを求め、反対に不安が増すことになるのです。

人はなかなかその過ちを認めません。でも、死を目の前にすると、巨万の富が一体何の価値があったのかと今までの価値観がぶち壊され、本当に大切なことは何だったのかが分かります。

そういう意味で、死は悲惨なことではありません。でも、本当は大切なことをもっと早くに気づいておれば、もっと幸せな人生を送ることができたと思うと、人生は如何に早い段階で死を意識するかが大事なんだと思わずにおれません。

人は素直になることでしか幸せにはなれないのですね。
穏やかな心になる
幸せになるとは、穏やかな心を得ること。穏やかといっても、自分の思い通りに物事が進んでいる間だけのことではありません。思い通りにならない時も穏やかな心が崩れない。それが幸せな心だと思います。

私たちはとかく思い通りにならないことから、目をそらし、思い通りになることばかり選びがちですが、幸せになりたければ、思い通りにならないことも逃げずに向き合うことが大切です。

この時、思い通りにならないこととぶつかると、感情が乱れる自分を如何に許してあげるか。穏やかになるとは、穏やかであることに執着するのではなく、穏やかな心でいられない時に、そんな自分を許し、感情が乱れても仕方ないと思うことが大切なのです。

感情が乱れることを許すことができたら、本当に穏やかな人間に近づきます。感情が乱れるのは、思い通りにならないときに、現れた自分の感情を責めるからです。

感情が乱れても、自分を責めることをやめたら、心は楽になります。それが幸せな心です。結局、苦しみは自分が生み出す。自分の心が変われば、苦しみはこの世からなくなります。如何に自分を許すか。それが問題ですね。
その都度片付ける
人生とは、開けたら閉める、出したらしまう、使ったら片付けるの繰り返し。私たちはついつい開けたら、開けたまま、出したら出したまま、使ったら使いっぱなしにしがちですが、仏法では、一回一回元に戻すことを教えられます。

それは心を元に戻す訓練のためです。私たちの心は放っておくとどんどん穢れてゆきます。穢れるとは、欲以外のことすべてが面倒臭くなる。つまり、出したものをしまわないと、余計しまうのが面倒臭くなって、出したら出しっぱなしにしてしまうのです。そして、思い通りにならないことが苦しくなります。

人生は思い通りにならないことの連続です。だから、穢れるような習慣が身につくと、毎日が不満と怒りの連続で苦しむなければなりません。

思い通りにならないことが苦しいのは、自分の心を元に戻す習慣がないから。だから、使ったら、その都度片付けなければならないのです。

心は毎日の習慣によって生み出されます。自分が苦しむことがないように、その都度、その都度片付けてゆきたいですね。
人を非難する癖から離れたい
人の非難は簡単にできます。どんなに良いところがたくさんある人でも悪いところはある。そこを非難すればいい。

でも、悪いところを非難しても、そこから何も学べません。人の良いところを認めた時、そこを見習ってゆきたいと学ぼうと思います。

だから、人を非難ばかりしてきた人は、人間的に何も成長するところがないまま、歳だけ取ってしまいます。結局、何も学ぶことがないまま、非難した報いで嫌われて、孤独な老後を迎えてゆきます。

だから、私も人の悪いところを見るよりも、良いところを見て生きてゆきたいと思うのです。その為には、まず自分が学ぶ姿勢を持つ。すべての人が私の先生。そう思って生きてゆきたいですね。
どんな嫌いな相手でも
どんなに嫌いな相手でも、自分の思っている相手は、自分の心が生み出した相手。たから、その人を恨むことは、自分を傷つけ苦しみを生み出してしまう。

私たちはこの唯識の世界から抜け出すことはできません。たとえ相手からどんなにひどいことをされたとしても、その為にどんなに苦しんだとしても、やっぱり相手は自分。自分が苦しみから抜け出したいと思ったら、その相手を許すしかありません。

許せない間は、自分も苦しむ。幸せになりたいのに、幸せにはなれません。

どんなに許せない相手も許してゆく。それしか幸せになる道はないのですね。


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