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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
自分のことが嫌いな人
よく自分のことが嫌いという人がいる。
その人は身近な人から散々否定されてきたのだと思う。
だから、あの人が自分のことを否定してきたのは、自分に悪い所があるからだと思ってしまう。
ああ、自分は悪い人間だ、他人から嫌われる人間なんだと思って、自分なんか生まれてくるんじゃなかった。存在さえしなければ良かったと思ってしまう。
こういう人は自分のことを大事に思ってくれる人が現れても、その人の言葉を信じようとしない。
この人は自分のことが好きでも、自分は他人から嫌われるような悪い人間なんだと思っている。
そして、自分は他人から嫌われるような人間だと思っているから、相手のちょっとした言動も自分の存在を否定されているように感じてしまう。
あの人がこんなことを言うのだから、自分は余程悪い人間なんだと思ってしまう。
この人にとって大事なこと。
それはこんな自分でも大事に思ってくれる人がいるんだということに気づくこと。
自分がどんなに悪人であったとしても、そんな自分を大事に思ってくれる人がいたならば、それは喜ばなければならない。
人はみんなから好かれることもなければ、みんなから嫌われることもない。
それなら、自分のことを好きだと言ってくれる人を見て生きていった方が幸せだと思いませんか。
自分のことは嫌いだけど、こんな自分でも好きだと言ってくれる人がいるから、まだまだ自分も捨てたものではないなあと思う。それが大事ではないかなと思いました。
未来のための準備の人生
まだ来ていない未来に対して、こうしたらどうしよう、こうなったら嫌だなとあれこれ心配して苦しむのは、その人は今までの人生の中で、未来の準備の為に現実の思い通りにならないことを対処してきたから。だから、いつもこのような人はより良い未来になる為に今を生きるようになった。
でも、今が幸せになっても、未来の為に準備する癖が抜けてないから、未来に対して思い通りにならないことが起きたらどうしようと心配して、その心配事を無くす為に準備しなければと思うようになったのです。
私たちは未来に対して、色々心配する。未来こうなったらどうしよう、と思うこともある。だからこそ、仏教では、今を大事にしてゆく。今に目を向け、少しでも幸せな時間を過ごしてゆくようにしてゆくのです。
確かに未来思い通りにならないことがあるかも知れない。でも、そうなったら、そうなった時、対処すればいい。今できることは、今を少しでも幸せにしてゆくこと。仏教から言ったならば、未来は今の延長線。だから、今を幸せにすれば、未来も幸せに生きることができる。もちろん、突然の無常によって悲しい現実とぶつかることがあるかも知れないが、それでも、それまでの人生を無常を意識して、今を大事に生きていったならば、無常が来ても、今まで幸せだったからと納得することができる。
それよりも未来の準備をしながら、今を生きることは今を大事にしていない。自分の人生の本番をいつも未来に置いて、今を過ごしてしまっている。
それでは勿体ない。自分の人生の本番とは、今。今を大事に生きてゆくことこそ、悔いなき人生になるために大事な心がけになるのです。

幸せな人を妬むときは
よく幸せな人を見ると妬みが起きてくるという人がいる。でも、実際、起きているのは妬みではなく、愛欲。愛欲とは、自分のことを愛して欲しい、大事にして欲しい、認められたい、分かって欲しい、見捨てられたくないという心。でも、その愛欲を出しても否定されるのが怖くて、自分自身が愛欲を抑えているから、愛欲が妬みとなる。幸せな人を見て羨ましいと思うのは当たり前。
だから、自分も認めてもらいたいと動いたらいい。でも、妬みの強い人は、自分から動かずに、まわりの人が気を遣って、自分のために動いてくれることを期待している。
否定されたくないという思いが自分から動かずに相手に動いてくれることを期待する心へと変わっている。
だから、妬みのある人は、幸せそうな人を見たら、自分の気持ちを分かってくれる人に羨ましい気持ちを話したらいい。
そうやって、話をして気持ちを受け止めてもらったならば、心もすっきりする。
妬みの強い人ほど、自分の感情を抑えて我慢することが多い。我慢することよりも、自分の愛欲を満たしてあげる。
そうすれば、幸せな人を見ても、良かったねと思ってあげることができる。
自分の心に優しい人は、他人も優しくなれるのですね。
四を乗り越えることが仏教の目的
人間一度は必ず死んでゆかなければならない。でも、自分の死を真面目に考えることはしない。
それは死をそれだけ恐れているから。そして、なぜ恐れているかと言えば、私たちの魂は死を知っているからです。
死は私たちにとってあまりにも恐ろしい出来事であり、とても真正面に向き合うことができない一大事だから、死を真面目に考えることはできない。
だから、人間一度は死なないといけないと分かっていても、まだまだ死なないと思って、死を遠くに見ようとする。
この死を乗り越えること。それが仏教の目的なのです。
戻ってくる
人は成長してゆくもの。そうやって成長すると、いつもそばにいた人も離れてゆく。その時、何か寂しい気持ちがする。いつもそばにいて欲しいのに、離れてしまうから。

でも、相手の成長を喜ぶなら、自分から離れたことを喜んであげなければならない。

人は成長したら、自分の元から離れてゆくもの。

じゃあ、離れたままで終わるのかと言えば、そうではない。一時、自分の元から離れることがあっても、また私の存在が必要となって戻ってくる。
それは外の世界には、自分と心から交流できるような人はなく、みんな表面的な付き合いしかできないから。
だから、心の交流を求めて戻ってくる。

大事に育てた人は自分から離れることはない。最後まで繋がり続ける。
そう思えるからこそ、他人を大事に育てることができるのですね。


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