幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
いつか死ぬと思っていながら、自分が死ぬとは全く思っていない
みんないつかは死んでゆかなければならないぐらい分かっている。
でも、その割には、癌にかかったりして、本当に死んでゆかなければならなくなるとショックは大きい。みんなそれほどいつか死ぬと思っていながら、本当に自分が死んでゆくとは思っていない。
人間、本当に死んでゆかなければないないとなったならば、生に対してしがみつく。死にたくない、もっと生きてゆきたいと思う。そして、どうしても死んでゆかなければないないとなると、自分の人生に対してこんなこともしておけば良かった、あんなこともしておけば良かったと後悔する。
みんないつか死ぬといいながら、本当に死を意識することはない。死を意識するとは、後からこうすれば良かったと思うことがないように今にしがみつくこと。そして、今を少しでも後悔がないように大事にするようになる。
いつか死ぬと本当に分かったならば、今を大事にするようになる。でも、大事にしていないとしたならば、いつか死ぬと思っていながら、全く自分が死ぬとは思っていない。
そう、人間とは、自分が死ぬとは思えないもの。何故なら、それほど自分が死ぬということは恐ろしいことだから。だから、死ぬのが怖いから、本当の意味で自分が死ぬとは思えない。そして、死ぬとは思えない自分に気づいてしまったならば、いつか本当に死ななければならないと分かってしまうので、いつか死ぬと頭で納得して、本当の死から目をそらしている。
無常を知るとは、自分は死なないと思っていることに気づくこと。そして、死を意識して、今を少しでも大事にしてゆくこと。生に対する執着は、今を大事にしてゆくことからしか取れない。無常を知り、今を大事にしてゆくことが人生を少しでも悔いなきものにしてゆくのだと思いました。
こんな親と一緒に暮らしたくない
子供が大人になった時に、親と一緒に暮らしたいと思ってもらえるような子育てがしたい。
考えてみたら、人間は寂しさの塊。だから、一人でいたら寂しいから、誰かと一緒にいたいもの。本当なら親と一緒にいたことが幸せだったならば、子供は素直に親と一緒に過ごしたいと思ってくれるはず。
それが親から離れたいと思われてしまうのは、自覚はしていないけど、親のエゴを子供に押し付けてしまったからだと思います。
どんなに正しいことでも、それを相手に押し付けたならば、仏教ではそれは悪となる。
そうやって、自覚なく親のエゴを押し付けた結果、子供は親と一緒に暮らしたくないと思って、親元から離れてゆく。
結局、子供が最後に自分の元から離れてしまったならば、それは寂しいことだし、何のために子育てしてきたかも分からなくなってしまう。
一生懸命生きてきた最後、老後で孤独になることは寂しいことですね。
こまめにお礼の言葉を言える人は幸せだと思います
考えてみたら、みんな自分のことを考えて色々なことをしている。心もかけてくれる。でも、私たちは自分にちょっと不都合なことがあるだけで、相手のことを悪者にして、相手の悪い所ばかり目に付く。
本当は人の悪い所よりも良い所を見てあげなければならないのに、どういう訳か、私たちは他人の悪い所ばかり目に付く。
きっと他人を悪者にすることで、正しい所に自分を置こうとしているのだと思います。
だから、私たちは自分は正しい人間かどうかばかりを問題にして、他人の好意に目を向けないことが多いのだと思います。
他人の好意にもっと目を向けたならば、自分って何て幸せ者なんだと感じるはず。
だからこそ、心がけて、他人からの好意に対してお礼を言ってゆかなければならないのですね。
こまめにお礼の言える人は幸せな人だと思います。
まず自分が素直になる。
幸せとは、どんなことがあっても他人を責めないことが大切だと思います。責めると、自分も責められているように感じて苦しむ。だから、自分が悪い人間にならないように、また責めてしまう。そうやって、いつの間にか自分が生きる目的は、如何に自分が正しいかを証明する為になってゆく。どんなに自分が正しいかを証明したって、心は満たされる訳ではない。
心が満たされるかどうかは、如何に他人から必要とされるか。それは自分がまず他人を必要としなければならない。他人を責めている人は正しい所に自分が立っている。
でも、正しさなんて関係ない。それよりも、自分が寂しい時に素直に他人を頼れるかどうか。まず自分が他人を必要とする。
そうすることで、相手も自分に対して心を開いてくれる。正しさで相手を屈服させても、相手は貝のように心を閉ざすだけ。私たちが相手に望んでいることは如何に相手が思い通りになるかではなくて、相手が自分の存在を受け止めて欲しいだけ。
だから、まず自分が心を開いて相手を必要とする。そうすれば、相手も心を開いてくれる。まず自分が素直になる。それが大事ですね。
自分が責任を取る
幸せとは、どんなことがあっても他人を責めないことが大切だと思います。責めると、自分も責められているように感じて苦しむ。だから、自分が悪い人間にならないように、また責めてしまう。そうやって、いつの間にか自分が生きる目的は、如何に自分が正しいかを証明する為になってゆく。どんなに自分が正しいかを証明したって、心は満たされる訳ではない。
心が満たされるかどうかは、如何に他人から必要とされるか。それは自分がまず他人を必要としなければならない。他人を責めている人は正しい所に自分が立っている。
でも、正しさなんて関係ない。それよりも、自分が寂しい時に素直に他人を頼れるかどうか。まず自分が他人を必要とする。
そうすることで、相手も自分に対して心を開いてくれる。正しさで相手を屈服させても、相手は貝のように心を閉ざすだけ。私たちが相手に望んでいることは如何に相手が思い通りになるかではなくて、相手が自分の存在を受け止めて欲しいだけ。
だから、まず自分が心を開いて相手を必要とする。そうすれば、相手も心を開いてくれる。まず自分が素直になる。それが大事ですね。


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