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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
楽になりたいと思うから不平不満が起きる
私たちが不平不満、愚痴が出て苦しむのは、楽がしたいと思うからだと思います。

楽がしたいというのは、時間があったら欲に流れたいという心。欲に流れたいと思っているから、何か自分がやらなければならないことがあると、自分ばっかりどうして動かないといけないんだと不満になる。

不満な心の状態では何をやっても幸せではない。自分の心の中では、他の人ももっと動いてくれたらいいのにと思っている。じゃあ、動いてくれたら感謝するのかと言えば、当たり前になって、それは他の人の仕事だからと思って、他の人が動いてくれてできた時間を当たり前のように欲に流れてゆく。

そして、欲に流れるから、何かしなければならないと思うと、また、どうして自分がやらなければならないんだと不満が起きる。

人間とは欲の塊。時間があったら欲に流れている。でも、どんなに欲に流れても満足はない。どんなに時間があっても、欲に流れるとあっという間に時が過ぎてしまう。たからこそ、幸せに生きる為には、欲から離れなければならない。そして、自分がやることは、自分がそれをやろうとしてやってゆく。自分がやると決めたことは、どんなに大変でも不満は起きない。反対に楽になりたいと思ったら、どんなにわずかなことでも不満が起きる。

楽になって、欲に流れたいと思う心。これが苦しみを生み出す。

気をつけてゆかなければ。

感情を受け止めて欲しいから、悪い奴を探すようになる
私たちが誰かのことを悪く見るのは、その相手が悪い人間だからではなくて、自分の感情をその相手にぶつけたいから。

私は世の中間違っていると思うことだか、自分の感情を受け止めてもらいたいなら、受け止めてくれる人に吐き出したらいいのに、悪い奴を見つけては、その人に吐き出そうとする。みんな、悪い人を見つけては、その相手を正す名目で、感情を吐き出す。

でも、悪い奴ほど、心がいっぱいで相手の感情を受け止める余裕がないから、感情を吐き出しても受け止めてくれない。

だから、吐き出した人は相手を責めても相手は受け止めてくれないから、ますます腹が立って、相手を責めてしまう。
責めると責められた相手は自分が悪かったと反省するのではなく、反発して開き直る。

結局の所、自分が悪かったとなって、自分を責めたくはないし、相手の穢れを受け止めたくないから。
私たちは学習しなければならない。悪い奴に感情をぶつけるのではなく、自分の気持ちを受け止めてくれる人に感情を吐き出さなくてはならない。
それが分からないから、私たちはいつも感情を吐き出す相手を探して、いつも悪者を探すようになる。

悪者よりも自分の気持ちを受け止めてくれる人を探さなければならないのに。悲しいことです。
怒るのはそれしかコミュニケーションの仕方を知らないから
よく思い通りにならないとすぐ怒る人がいるが、その人が怒るのはコミュニケーションを取るための手段。

小さい時に自分の親が普段は私のことをほったらかしだった。そんな親が私とちゃんと向き合ってくれたのが怒った時だった。だから、この人は、怒ることしかコミュニケーションの手段を知らない。もちろん、そんな人でも外の人と接するときは、にこやかに接する。それは我で接しているから。

でも、心を許した相手には自分が親から接してもらったように自分も接してしまう。よく怒る人というのは、親が自分と向き合ってくれたのは、怒る時ぐらいだったから。だから、自分も心を許して感情が出るときには怒ってしまう。だから、相手が怒ったからと言って、自分が何か悪いことをしたんじゃないかと思う必要はない。相手はコミュニケーションを取りたいだけ。

でも、そんな怒ってしまう自分が嫌いだから、相手も否定されているように感じて、否定してしまう。だから、否定されるようなことを言われたとしても、普通に接する。これもコミュニケーションなんだと思って接する。
そうすると、相手も段々と普通に会話ができるようになる。でも、自分が怒られるのが嫌で離れてしまうと、相手は馬鹿の一つ覚えのように怒りを繰り返すばかりで、怒りがなくならない。

怒るのはコミュニケーションを取りたいだけなんだと思って接すること。

それが相手にとっても、自分にとっても穏やかになる秘訣なんだと思いました。
子供に付き合う
よくこの子はいい子だとか、言うことを聞かない子だとか言うが、言うことを何でも聞く子供というのは、その子供は親から認めてもらいたいから親の望むことをしているだけ。親の思い通りになっている時は、子供は自分を出せてない。

だから、親が子供の気持ちを大事にして、認めてあげるようになると、子供は自分がこうしたいからと動くようになる。

それは多くの場合、親にとって迷惑なことが多い。

親は一人でやった方が早いと思いながらでも、子供が手伝って欲しいと言われると付き合う。それをありがとうと言ってあげる。そうすることによって、子供は自分の存在を受け入れてもらったように感じて自分の人生を自信を持って生きれるようになる。

確かに子供が自分の望むように動いてくれたら、親は楽になる。

でも、子供の将来を考えたら、子供自身、自分を持って主体的に生きてゆけたら幸せだと思う。

だからこそ、子供がしたいことに付き合う。それがたとえ一人でやった方が早いことでも、子供に付き合ってゆく。

そんな風に子供の心を大事にできたら、子供も幸せになれるのではないかなと思いました。
反位を定位に戻す
自分を大事にしたいと思ったら、物が出してあったら、それを定位に戻すことが大事だと思います。

反位を定位に戻す。

簡単なようだけど、心が緩んでしまうと、反位があっても、そのままにして定位に戻すことを後回しにする。

そうやって、段々と欲に流され、大事な時間を無駄に過ごすだけでなく、不安なこと、嫌なことを後回しにしてやらなくなる。そのうち、自分が動く時は責められないように動くだけで、それ以外の時間はいつも欲に流れることばかり考えるようになる。

責められたくないから動くのでは、それは畜生と同じ。

自分の人生を自分の思うように自由に生きてこそ、人間と言える。

欲に流されずに、自分の望むように生きる。

その為には、いつも自分の心に一定の気の張りがあることが必要。

それは如何に自分のことを大事な存在と思っているか、大事だからこそ、大事に生きなければならないと思うかで決まる。

でも、私たちは自分の存在を大事だと思えない。だからこそ、まず自分の身のまわりの物を大事にしてあげる。

物を大事にしたいと思うからこそ、出しっぱなしにしていたら可哀想だと思って片付ける。決して目の前にあると邪魔だから片付けるのではなく、放置されていることが可哀想だと思って片付ける。

この物を大事にしたいという思いは、やがて自分を大事にしたいという思いに変わる。

大事にするからこそ、大事に思えるようになる。

幸せとは、自分を大事にする所からしか生まれない。自分のことが大事だとは思えないからこそ、欲に流れ、責められたくないから動くようになる。

本当は自分の親が自分のことを大事にしてくれたならば、自分を大事に思えたのに。

でも、親は子供のことを大事にしているつもりで、時間があると欲に流れていた。だから、親も自分のことを大事な存在を大事だとは思えなかったのですね。

大事に思えないから、大事にできない。だから、自分のことが大事と思えない親から、自分のことを大事と思えない子供が育つ。

この流れを断ち切ることが、大事にすること。大事に思えないからこそ、大事にしてゆく。

欲に流れたいという心と戦い、自分とまわりの人を大事にしてゆく。

そうやって、自分のことを大事だと思えるようになったならば幸せですね。

反位を定位に戻す。自分を大事にする。大事にしたいという気持ちで物を大事にする。心を欲に流れないようにする。


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