幸せのこころとかたち


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[追伸]
なお、当方の
「救いに前後があるのは仏の側(法の側)に差別があるからではない。平等に回向されている救いの法を受け入れない、衆生の側の機の失である」という主張の根拠は、
曇鸞大師の「論註」に
「問うて曰く、若し無碍光如来の光明無量にして、十方国土を照らし給うに障碍するところなしといわば、この間の衆生何をもってか光照を蒙らざらんや。光り照らさざるところあらば豈に碍あるに非ずや。
答えて曰く、碍は衆生に属す、光りの碍には非ざるなり」と書かれてあるものを読めば、よくお分かりになるかと思います。
12/27 01:47 By:こんにちは URL
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>あなたの言われる根拠を読ませて頂きましたが、だから、救いは平等だと言えるものはありませんでした。

これだけ読んでも理解できないというのも不可解ですが・・・。まさか「無縁の慈悲」という基本的な仏教用語の意味もご存知ないのでしょうか?
平等の慈悲である以上、「仏の側(法の側)に差別があるゆえに救いに遅速がある」などという説は出てきようがないはずです。

>今生助けられなかったら、次の生、それでもダメならば、その次の生と追いかけて助けてくれる。
>そういう人もあれば、全く後回しの人もある。
>御恩のある方を重く扱う。
>仏の救いには差別があります。だから、救われている人もいれば救われていない人もいます。苦しんでいるから助けてくれるのは仏様にとって御恩のある人だけです。

↑上記のあなたの所説を裏付ける根拠が、お聖教上のどこにありますか?

あなたも「浄土真宗の教えを説いている」と仰るのであれば、当方の「救いに前後があるのは仏の側(法の側)に差別があるからではない。平等に回向されている救いの法を受け入れない、衆生の側の機の失である」という主張に異議があれば、独断によらず、お聖教の上にみられる文証をはっきり示して反論されるようにすべきです。
お聖教の上で「仏の救いには差別がある。だから、救われている人もいれば救われていない人もいる。苦しんでいるから助けてくれるのは仏様にとって御恩のある人だけである」とある文証を挙げなければ、どれほどもっともらしいことをいったとしても、結局、それは私見に過ぎないのであって、正しい反論にはなりません。 また、実際、そのような文証があるはずはありません。
12/23 01:13 By:こんにちは URL
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そうでしょうか?

あなたの言われる根拠を読ませて頂きましたが、だから、救いは平等だと言えるものはありませんでした。

実際に仏の3不能の中に同時に複数の方を救うことができないと説かれていますし、

何らかの優先順位をもたれて救われていると考えるのが正しいのではないでしょうか?
12/19 07:34 By:幸せのこころ URL
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仏の慈悲は大慈悲=無縁の慈悲ですから、平等で差別はありません。

「仏心とは大慈悲これなり。無縁の慈をもつてもろもろの衆生を摂す」(観無量寿経)

「正道大慈悲 出世善根生とは、平等の大道なり。平等の道を名づけて正道となす所以は、平等はこれ諸法の体相なり。諸法平等なるをもつてのゆゑに発心等し。発心等しきがゆゑに道等し。道等しきがゆゑに大慈悲等し。大慈悲はこれ仏道の正因なるがゆゑに「正道大慈悲」といへり。慈悲に三縁あり。一には衆生縁、これ小悲なり。二には法縁、これ中悲なり。三には無縁、これ大悲なり。大悲はすなはち出世の善なり。安楽浄土はこの大悲より生ぜるがゆゑなり。ゆゑにこの大悲をいひて浄土の根となす。ゆゑに「出世善根生」といへり」 (曇鸞大師)

「一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨て易を取りて、本願となしたまへるか。もしそれ造像起塔をもって本願となさば、貧窮困乏の類はさだめて往生の望を絶たん。しかも富貴のものは少なく、貧賤の者ははなはだ多し。もし智慧高才をもって本願となさば、愚鈍下智のものはさだめて往生の望を絶たん。しかも智慧のものは少なく、愚痴のものははなはだ多し。もし多聞多見をもって本願となさば、少聞少見の輩はさだめて往生の望を絶たん。しかも多聞の者は少なく、少聞のものははなはだ多し。もし持戒持律をもって本願となさば、破戒無戒の人はさだめて往生の望を絶たん。しかも持戒のものは少なく、破戒の者ははなはだ多し。自余の諸行これに准じて知るべし。まさに知るべし、上の諸行等をもって本願となさば、往生を得るものは少なく、往生せざる者は多からん。しかればすなわち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんが為に、造像起塔等の諸行をもって、往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもって、その本願となしたまへり」(法然聖人)

管理人さんの所説は釈尊、曇鸞大師、善導大師、法然聖人の教えに反しています。
救いに前後があるのは仏様(法の側)に差別があるからではありません。
平等に回向されている救いの法を受け入れない、衆生の側の機の失です。
12/18 09:07 By:こんにちは URL
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確かにそう思う人がほとんどですね。
12/18 08:37 By:幸せのこころ URL
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