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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
幸せになるにはまずまわりを幸せにしてゆかなければならない

自分が幸せになりたいならば、心を外に向け、自分のまわりの人たちを幸せにしてあげようと心がけなければならない。
そして、相手の心がどうしたら幸せになるか考えるようにすることが大切。

でも、私たちの目はいつも自分しか向いていない。

自分の欲を満たすこと。
自分の予定のこと。
自分のやりたいことなど。

自分、自分で動いている。
それでも、それが自分の幸せにつながることならいいが、ほとんどの場合、ただ目の前の欲を満たすことばかりに時間を費やしている。

人は幸せを求めているはずなのに、ほとんどの人は欲を満たすことばかりに時間を使っていて、現実に幸せを求めている人はいない。

では、幸せになりたければどうしてらいいのか?

それは、まず欲を満たそうとすることから離れ、自分のまわりの人たちがどうしたら幸せになれるか考え、種を蒔いてゆく。
それが回り回って、自分の心を幸せにしてゆく。

幸せとは、自分のまわりを幸せな環境を変えてゆくことによって味わうことができるのですね。


心が浄らかになるとは
心を浄らかにするとは何か。

浄らかとは、物事を煩悩によって歪ませることなく、ありのままに見えている状態。

ありのままに見るとは、自分にとって都合の悪い現実を煩悩によって見えなくさせて、都合の良いように見るのではなく、ありのままに見ること。

だから、ありのままに見るとは、自分にとって都合の悪い現実を見なければならないから、苦しい。
つまり、心が浄らかになると自分の見たくない現実まで見なければならないから、心が穢れていた時よりも苦しくなる。

でも、正しく見えなければ正しく判断することはできない。

私たちは、苦しみたくはないから、煩悩によって世界を歪ませ、見たくない不都合な現実を隠している。
その為、正しい判断をすることができず、苦しみの流転を繰り返さなければならない。

中でも正しく見れないもの。

それは時間。

私たちは、いつまでも生きられると思って生きている。
だから、自分の時間の使い方に疑問を起こすことはしない。
自分が死んでゆかなければならないということがもし分かっていたら、必ず自分の生き方に疑問が起きてくる。

このままただ流されるまま時間を費やしていていいんだろうか。

このまま一生を終えたくはない。
自分の中で言い知れない気持ちが起きてくるはずです。

これが心が浄らかになるということ。それは自分の死について真剣に考えるようになることでもあるのです。


寂しい時ほど自ら動く
寂しい人ほど、声をかけてもらえることを期待する。
でも、どんなに声をかけてもらって、その時は寂しさが紛れたとしても、相手の目が自分から離れた瞬間に寂しくなる。
結局、寂しいからと言って、声をかけてもらったとしても、寂しさは解消しない。

では、寂しい時はどうしたらいいか?
寂しい時は声をかけてもらうのではなく、自分から声をかけること。
呼べば呼ぶ呼ばねば呼ばぬ山彦ぞという歌もあるように、自分から声をかけてゆけば、声をかけてもらえるようになる。
声をかけてもらうことを期待している人は、寂しいという自分の感情に対して、他人が動いてくれて当然だと思っている。
そういう人は、寂しいという自分の感情に対して自分から動いていない。だから、どんなに相手が動いてくれたとしても、一回でも自分が望んだように動いてくれなければ、寂しい心に対して自分も含めて誰も動いてくれないので心が寂しくなる。
寂しいのは自分の感情だから、自分から動く。これが仏教。

自分から動くから、今がどんなに寂しくても、自分が動いて寂しさを解消できるから、寂しくない。
寂しい時こそ、自分の感情の為に自分から動く。
それが寂しさを解消する一番いい方法なのですね。


少しでも相手が喜んでくれることに時間を使いたい
自分のことを必要としてくれる人がいたら、その人の為に気持ち良く時間をとってあげたい。もちろん、私にもやるべきことはある。でも、それは一人の時にやったらいい。一人になる時間は自分のやるべきことをやる時間。そして、人と一緒にいる時は、相手が少しでも喜ぶことに時間を使ってゆく。

仏教とは大乗の教え。大乗とは利他の教え。自分のことよりも、まず相手のことを考えてゆく。
どうしたら相手が幸せになれるか。
どうしたら相手の苦しみを取り除いてあげるか。
どうしたら、どうしたらと考えてゆく。それが私にできているかと言えば、いつも自分のことしか考えていないのが、自分だと反省する。だからこそ、少しでも相手のことを考えて、相手に喜んでもらえるように時間を使ってゆきたいと思いました。

他人のために少しでもお金を使えるようになりたい

私は自分のためにはお金を使っても、他人のためにはお金を使っていないなあと感じます。
使おうとすると、勿体ないという心が起きる。でも、これではいけないと思うので、その勿体ないという心を振り払って、少しでも他人の為にお金を使ってゆくように心がけています。

他人のためにお金を使えないというのは同時に、他人のために時間を使えないということでもある。
考えてみたら、私はいつも自分の思い通りに振る舞ってきた。相手のことを考えるのではなく、いつも自分のしたいことを優先してきた。だから、頭の中では自分のやりたいことでいっぱい。相手が自分のことを必要としていても、その人の為に時間を気持ち良く使うことはせず、自分の欲の為に時間を使ってきたと反省します。

この自分本位の考え方から離れようと思ったならば、毎日が自分の欲との戦い。頭の中は自分のことばかりだから、少しでも相手のことを考える。自分本位に動くのではなく、まず相手のことを考える。
そんな努力を積み重ねて、いつか相手のことを第一に考えることができるような人間になりたいなと思いました。




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