幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
仏を念ずる

仏教ってつまる所、自分を知る教えなんだと思います。

私たちは自分が見えてない時は、何でもできる所に立って、他人を見下し、他人の悪い所があったら、こんな所もできないのかと、その相手を責める。

でも、自分が知らされてくると、自分って今まで他人のことをあれこれ言っていたけど、偉そうによくもそんな酷いことが言えたものだと、とても他人の批判なんて言えなくなる。

他人の批判が言えるのは、自分が正しい所に立っているからであって、自分の間違いが知らされると、他人の批判なんて、とても言えない自分なんだとまざまざと知らされる。

では、自分の姿が知らされるとは、どういうことか?

それは仏様と比べて自分はどうかと比較すること。

仏様と比べたならば、出来ている人なんていない。でも、仏様のお姿こそ、善だからこそ、仏様を基準として、自分を比較して、自分は善なんてないなあと見せつけられる。

どんなに悪い人間であっても、自分もいっぱい出来ていない所があるから、否定できない。

それが仏様を念ずる人の姿なんだと思いました。


仏様から頂いた慈悲の心

自分の存在を否定してくる相手と向き合う時、つくづく自分には慈悲の心はないなあと感じます。

そんな時、思うこと。

それは仏様だったら、こんな相手にも幸せにしてあげたいと思って接するのだろうなということです。

仏とは慈悲の塊、人々の苦しみを抜き、幸せにしてあげたいといつも念じているお方。

その仏を念じた時、自分は本当に出来ていない所がいっぱいだなと思わずにはおれません。

それでも目の前の相手に仏様がいる訳ではない。相手が接しているのは、仏様ではなく、生身の自分。

だから、せめて自分の存在を通して仏様の存在を知って頂きたいと思って接する。

そうすると、慈悲の心のない私でも慈悲の心が起きてくる。

そんな時、これは自分の心ではない。仏様から頂いた心だと思って接する。

自分には慈悲の心はないけれど、相手に仏様の慈悲を知ってもらいたいから、慈悲の心が起きる。

そうやって進んでゆくのが仏道なんだと思いました。


仏の慈悲を知ってもらいたい

私の存在なんて仏様から見たら、遥か下の存在。智慧もなければ、徳もない。仏のような慈悲もない。

だから、僕ができることは、仏を仰ぎ、ご縁のある方が仏様と少しでもご縁を結んでもらえるように接してゆくだけ。

仏様から見たら、私はお粗末な存在。

だから、自分の存在を通して、ご縁のある方が仏様とご縁を結んでもらえるとは、とても思えない。

自分と接しても、仏様がこんな尊い方だとは思ってもらえる訳ではない。

だから、すみません、すみません、と生きてゆくしかない。

自分は全くダメだけど、仏様は素晴らしい方。

私を通して仏の慈悲を知ることはとてもできないが、少しでも仏様のことを信じてもらいたい。

仏とご縁のある方をつなぐのが、私の役目。

それは自分を磨いてゆかなければなれない。謙虚には程遠いけど、謙虚にならねばと思います。


聴聞に極まる

仏法は聴聞に極まる。

それは仏法を聞く立場の人よりも、仏法を説く立場の人の方がより人々の話を聞かなければならないと思います。

みんな自分の話を聞いてもらいたいと思っている。

自分の気持ちを受け止めてもらうことによって、心がすっきりする。私はこんな仕事をして思うことだが、自分の思い込みで人を判断することはできないなあと感じます。

小さい子でも自分なりの意見を持っている。だから、人の話を聞くときは、心して聞かなければならない。

心をさらにして、思い込みを捨てて、初事として聞く。

そうやって、聞くことで、新たな発見がある。この人はこういうことを思っていたんだ。

こんな風に思っていたら、そりゃあ、苦しむなあとなる。

みんな自分のことを分かってもらいたいと思っているし、みんな相手のことを誤解している。

それを埋めるには、よくよく相手の話を聞いてゆくこと。それが大事。

仏法は聴聞に極まる。たからこそ、よくよく相手の話を聞く。そこからしか相手のことは分かりませんね。


私の役割

善知識の役割って阿弥陀仏の御心を伝えること。

自分には大慈悲なんてない。自分にはすべての人を救いたいという心なんてないし、どんな極悪人も許せるような器の大きいものでもない。

だけど、阿弥陀仏はそういう方。だから、自分にはできないけど、この世界には阿弥陀仏という素晴らしい方がいて、すべての人を救いたいと全力を尽くされている。

それは目に見えない力。だから、普通の人には分からない。

だから、その御心を伝えること。それが私の役割であり、一生を通じてやらなければならないことだなと感じます。

よく自分は何の為に生きているか分からないという人がいる。

それは自分よりも尊い方の存在を知らないから。

どうやっても自分には遠く及ばない人がいるから、その人を仰ぎ、ご縁のある方に阿弥陀仏の御心を伝えてゆく。

それが私の役割。

仏法とは阿弥陀仏の本願を伝えること。阿弥陀仏の大慈悲は自分にはないけれど、阿弥陀仏は大慈悲の方なんだということを伝える。

そして、自分の命は大事なんだと知ってもらうこと。それが私の役割。




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