幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
寂しいからこそ、相手のそばにいてあげる
人間って不思議なもので、他人にも愛欲があると思って、相手の存在を見てあげようとすればするほど、つくづく自分は愛欲の塊なんだと知らされる。相手を見てあげているつもりなのに、心の中では、相手に自分の存在を見て欲しいと思っている。特にそばにいるのに、相手が自分の存在を無視して、そばにいる人と楽しく話しているだけで、心の中では自分はここにいるのにと叫んでいる。この愛欲を無視して私たちは生きてゆくことはできない。だからこそ、自分にも愛欲があるように自分のまわりの人たちも愛欲があるのだと思うのが仏法。
だから、自分が寂しい思いをしていたならば、自分が味わった寂しさを相手にはさせないようにそばにいてあげる。たとえ相手が自分のことを無視していたとしても、自分は相手のそばにいてあげる。そしたら、もっと自分の愛欲が見えてくる。独りにされると寂しいという気持ちになる。でも、そんな時も相手に寂しい思いにさせないようにそばにいる。そうすることで、相手を一人にさせないだけでなく、自分も一人にならないようになる。相手を一人にさせないやうにそばにいることで、自分も一人にさせなくなるのですね。
価値を求めること自体苦しみを生み出す
小さい時に十分に見てもらえなかった人ほど、煩悩が強くなる。それは何か価値のあるものを手に入れたならば、自分は認められると思うようになるからだ。だから、価値を求めて他人と争ってまで求めるようになる。その時、自分が思うように価値を手に入れたならばいいが、手に入れることができないと、手に入れている相手の存在を快くは思うことができず、否定するようになる。
人間ってなんて愚かなんだろうと思うが、どんなに手に入れたものを否定して、その人から価値を奪ったとしても、自分が価値を手に入れることができる訳ではないのに、まるで相手を否定すれば、自分の望んでいるものが手に入るかのように求めている。みんな価値を求めて、それが手に入らず苦しんでいる。でも、真実から言えば、手に入らないことが苦しみではなく、求めること自体苦しみを生み出す。
価値を手に入れるから他人から認められるのではなく、価値があるかないかに関わらず、自分の存在を見てもらうこと。それが大事なのですね。
不幸は伝染する
人は自分のことを見てもらいたい。その為に相手に尽くし、こんなに尽くしたから見てもらいたいと思う。ところが、世の中にはどんなに相手のために尽くしても、自分のことを見てもらえない人がいる。そうなると、その人は自分の努力が足りないからだと思って、もっと尽くすようになる。そうやって、尽くしても尽くしても認めてくれないと、やがて自分は価値がないから見てくれないのだと思うようになる。だけど、自分のことを見て欲しいと思って頑張る人ほど、自分のことを見てもらうことで、必死で、相手のことを見ていない。だから、自分が寂しい思いをするように、自分のことを見て欲しいという相手に対しても寂しい思いにさせてしまう。不幸はどんどんと伝染してゆくのですね。
勝他の報いの苦しみ
人は煩悩で苦しんでいる。ここで苦しむとは何か。苦しむとは、心が穏やかになることができないこと。煩悩とは、勝他、名聞、利養。勝他とは、自分よりも勝っている人がいる時にその人の存在を認めることができず否定すること。
人は自分が一番になることはいいが、自分よりも認められる人がいると、その人の存在を快くは思えない。
なぜなら、自分よりも勝っている人がいると、その人のことばかり注目されて、自分の存在を見てもらえないから。それは自分がここに存在しているのに、存在していないように感じて苦しい。だから、相手を否定すれば、自分は苦しむことはないと思って否定してしまう。だから、否定する為に相手の良いところは認めず、悪いところばかり見て、この人はこんなに悪いところがあるのに、どうして自分よりも高い地位にいるのだと否定する。そして、自分がこのように思うだけでなく、まわりの人も自分と同じように上になった人を否定する。
このような世界では、下になると存在を見てもらえず軽く扱われるようになり、上になったらなったで、まわりの人が自分を引きずり下ろすようなことばかり考えているような感じがして喜べない。上になっても下になっても苦しむ。それが勝他の報いの苦しみなのです。
二河白道
仏教で仏になる為の道に二河白道がある。二河白道とは、人と向き合って、その人の良いところも悪いところも認めてゆくこと。たとえその相手からひどいことをされたとしても、なんで私はこんな目にあわなくてはならないのかと思うのではなく、自分がこのようなひどい目にあったのは、相手が今まで生きてきた世界がこのような世界であり、その人は、その中で苦しんできたからだと見る。そして、この人が今まで苦しんできた分だけ、これからは温かい世界の中で生きていって欲しいと思うこと。だから、相手から冷たくされても、温かい気持ちを返してあげる。
人は、どんな環境で育つかによって、他人に対する接し方が決まる。冷たい環境で生きてきた人は人に対して冷たい態度を取るし、温かい環境で育ってきた人は、人に対して温かい気持ちで接する。だから、相手が冷たい態度を取ってきたからと言って、その人に冷たい態度をしていたら、その人の心の世界は変わることはない。相手から冷たい態度を取られた時ほど、その相手に対して温かい環境を与えてゆかなければ、その人の心は温かくなることはない。
これを実践するのが二河白道。このように書くのは簡単だが、実践は難しい。
冷たい態度を取られた相手に温かい気持ちをかけてゆくことは難しいことだが、それを実践するからこそ、仏へと近づいてゆくのですね。


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