興味深く拝見しています。
仕事で「自分が不安になる時」「相手を見捨てそうになる時」があります。
仏教の観点から私の疑問について教えて頂けますでしょうか?
私はサービス業に就いています。
仕事でお客様を通じて自分の心に向き合う瞬間が多々あります。
・納得して喜んでサービスを受けて帰られるお客様
・同じサービス(値段も同じ)でも納得しない顔で帰るお客様
相手に喜んでもらう・笑顔にするためにこちらの知識と技術を精一杯だしているのに、喜んでもらえず、こちらが期待するようなリアクションが得られない。
その時に「何を、どこまでやればいいのか?」とこちらが不安な心になります。
そういう時には決まってそのお客様に対応する時間は延びるのですが、長く時間かかる仕事ほど成果がありません。
そして、心の中で「これだけやっているのに、なんで納得してくれないの?喜んでくれないの?」と思い通りにならないイラダチも出てきます。
終わった後は余計に疲れるし、プライベートの時間もそのお客様のことをひきずりやすいです。
唯識から、この世の事は自分の心が生み出したこと、と教えて頂きますが、私は仕事で起きるこういう問題から何を学ぶことができるでしょうか?
そして、納得しないお客様に対してどのような働きかけが必要でしょうか?
(いままでは、納得させようと必死になっていて、それが仏教では殺生にあたる、ということをこちらで学びました。それで、自分も余計に疲れてしまうのでしょうか・・・)
仏教の観点から教えて頂けるとありがたいです。
【2016/10/15 19:28】
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Re: 質問ありがとうございました。早速ですが、お釈迦様のお言葉に皆にて誉むる人なし、皆にて謗る人なしという言葉があります。同じ対応をしたからと言って、相手はみんな同じような反応をしてくれる訳ではありません。それをこれだけやったのだから、相手は満足して欲しいと思うことは、仏教ではこれを我と言って、相手をみんな同じように見ている姿なのです。人は一人一人違っているもの。一人一人のお客様に対して、今自分のできる精一杯のおもてなしをして、それで上手く行かなかった時は、どうして何だろうと反省する。そうやって一人一人のお客様と対応したらいいと思います。押してダメなら引いてみなということわざもあります。一人一人のお客様に対して、この人はこうしたらいいかな、あの人にはこうしてみたらどうかなと考えて対応してみたら、どうでしょうか。もちろん、上手く行かない時は不安になりますが、それも人生の醍醐味だと思って、味わってゆく。人生とは思い通りにならないものだなと思って、今に集中して目の前のことを楽しんでゆくことが大切なことではないかなと思います。どうでしょうか。
【2016/10/18 10:58】
URL | 幸せのこころ #LkZag.iM [ 編集]
Re 丁寧なご回答ありがとうございます。
相手をみな同じ(あるいは自分とも同じ)ように見るというのも「我」なのですね。
仕事で、「失敗を生かす」を続けて10年になります。
10年かけて信用を培ってきたつもりなので、やはり喜んで頂けない、納得して頂けない、となると、お金を頂くのが悪いことのように思えてしまうのです。
(ちょうど飲食店のようなもので、自分が一生懸命作った料理を、お客様の口に合わなくてもお金を払ってもらう)
こちらのブログをひとつひとつ読ませて頂くようになってから仕事への取り組み方(精神的な部分)が大きく変わったように思います。
「いまは思い通りにならない時だなぁ」と思いをきりかえて臨むようにしたら気が楽になりました。
思い通りにならない事や思い通りにならない時間も楽しめるようになりたいですし、そうなれる気がしてきました。
【2016/10/21 15:05】
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