後生の恐ろしさが知らされれば知らされるほど、無常を否定する人生から、無常を受け入れる人生へと変わらなければならないと知らされる。
無常を受け入れるとはどういうことか。他人の業種子を受け入れて、それによって自分の心が変わってしまうことを受け入れるということ。
大丈夫。自分には業がある。
だから、どんなに他人の業種子を受けて、自分の感情に影響を受けたとしても、それによって変わらない自分の心が存在する。
それが分かれば、自分を見失うことはない。
私たちが無常を恐れるのは、無常によって変化することのない自分の心を知らないから。
自分が分からないから、無常によって自分の心が変わってしまうことを恐れる。
無常を恐れる人は、本当の自分を知らない。
だから、そんな人に無常が襲ってくると、自分の心は真っ暗闇になって苦しむ。
真っ暗闇の心から怒りと嘆きの心が吹き上がり、自分を感じない不安から怒りが吹き上がり、自分の魂を傷つけ、苦しみを感じることによって自分を感じようとする。
後生が分かると今何とかしなければならないと思うようになるのである。
|