幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
賽の河原

親から心を育ててもらえず、体は大人になっても、心は子供のままの人がゆく心の世界が、賽の河原。そこでは子供が必死になって、「一つ積んだら父のため、二つ積んだら母のため」と石を一つ一つ積み上げてゆく。そうやって、ある程度、石が積み上がると、鬼がやってきて、無情にも積み上がった石を崩す。

そうすると、また泣きながら、子供は石を積み上げてゆくという世界。

では、ここで子供はどうして石を積み上げるのかと言えば、そうやって積み上げることで、親から認めてもらえると思っているから。

つまり、親から認めてもらう為に頑張っているのが賽の河原。この子供は頑張らなければ親は認めてくれないと思っている。そこで石を積むと、親は認めてくれるかと言えば、せっかく石を積んでも認めようとはせず、もっと頑張れと勧める。そこで子供は親に認められたい一心で、もっと石を積む。じゃあ、そうやって親は認めてくれるかと言えば、もっと頑張れというだけで、親は認めてはくれない。だから、子供は親に認められたい一心で、もっと石を高く積んだら認めてくれるのではないかと思って、頑張り続ける。でも、どんなに頑張っても、親は決して子供のことを認めない。ただここができていないじゃないかと、出来ていない所を注意するばかりで、子供が頑張ったことを認めることはしない。そうやって、子供は親に認めてもらいたい一心で、高く高く石を積み上げてゆく。やがて、高く積み上がった石は無常の鬼によって崩させてしまう。そうすると、子供は泣きながら、親に認めてもらいたい一心で、石を積み上げてゆく。これが賽の河原。

子供は親から認めてもらうことによって、心が育ってゆく。でも、どんなに頑張っても、親が認めてくれないと子供は心は幼いまま、体が成長して大人になる。

このように精神的に子供の人は、何をするのも、こうすれば、親は自分のことを認めてくれるかどうかで頑張るようになる。

金持ちになったら親は認めてくれるか、会社で出世したら親は自分の存在を認めてくれるのではなかろうか。そうやって親から認めてもらう為、親を見返す為に頑張り続ける。

そうやって、この人の人生はいつも親を問題にして、親に認めてもらう為だけに生きて、自分は本当はどんな人生を生きたかったのかという自分の人生を見失う。

そして、年を取って自分の人生を振り返ったときに、自分は一体何のために頑張ってきたのだろうと、自分の人生が虚しくなる。 

認めてもらうことは、心の栄養。その栄養を与えられずに育てられるといつも心の飢餓状態で生きてゆかなければならない。そして、親は子供のことを認めようとはしない為に、頑張っても頑張っても心は満たされない苦しい人生を生きてゆかなければならない。

確かに子供のことを認めてあげなければ、認めてもらいたい一心で子供は頑張る。でも、その認めてあげることを人質に子供を頑張らせることは、何をやっても満たされない心の餓鬼を生み出すだけなのですね。悲しい事です。


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