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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
六度万行
仏教では本当の自分を知るために六度万行が勧められます。
六度万行とは何か?
仏教では、自分に返ってくる結果はすべて自分の蒔いた種まきの結果だと教えられます。
たとえば、他人から無視されたとしたら、私たちは相手に対して何か悪いことをしたから無視されたのかなと思いますが、仏教では、無視されるのは、日頃私が他人に対して無視しているからであり、それが業となるから、他人から無視されるのだと教えられます。
だから、無視されるのが嫌だったならば、無視されないように気を遣うのではなく、自分がまず相手のことを無視しないように気を遣うことが大切です。
しかし、自分が相手のことを無視しないように気をつけたからと言って、自分の業がすぐに変わる訳ではない。
だから、自分は無視しないように気をつけているのに、相手からは無始をされるという結果を受けなければなりません。
それで私たちは無視をしないように気をつけているのに、無始をされるのならば、もう気を遣うのは嫌だと普通ならば、投げ出してしまいます。
これは仏教で教えられる因果の道理が分からないからです。
無視をされるからと言って、自分が無始をしないように気を遣ったところで、相手は自分が思うように気を遣ってくれる訳ではありません。それどころか、相手はこの人は気を遣わなくても大丈夫だと思って無視をしてきます。これが私が本来受けるべき結果なのです。
無視されることは嫌なことですよね。だけど、そんな嫌なことを今まで他人にしてきたのです。だから、自分は無視しないように気を遣いながら、相手からは無始をされることを受けてゆく。そんな悲しい思いをしなければならないのです。
これが忍辱と言われるものです。無視をされることは悲しいことですが、これが自分の姿なんだと思えば、耐えてゆくことができる。私たちは嫌なことがあると自分は変わらず、相手を責めることによって相手を変えて、問題を解決しようとする。それを仏教を学んだならば、他人を変えるのではなく、自分が変わることによって他人を変えようとする。
自分が無視されて悲しい思いをするならば、なんで無視するのだと相手を責めるのではなく、相手の姿は自分の姿なんだと思って、まず自分が変わる。
でも、そうすると知らされるのは、自分って変わらないものだなあということ。私たちは自分を変えようとしないから、他人は簡単に変わるものだと思っている。
でも、他人を変えるのではなく、自分を変えようとしたとき、変わらない自分の姿が知らされる。
そして、そんな自分も自分なんだなと受け止められるようになると、他人から無視されても、これも自分なんだと思えて苦しくなくなる。
これが忍辱。
忍辱ができるようになると、他人も少しずつ変わってゆく。自分のことを無視していた人も無視しなくなってゆく。
実は無視しないように気を遣っていても、私たちは無視している相手を見下して責めていた。それが無意識のうちに伝わって、相手は自分のことを無視していたのです。
無視する相手を否定せず、自分から近づいていったならば、相手も自分のことを無始をせず近づいてきてくれます。
すべては自分を映す鏡だと知らされてゆくのが六度万行なのです。

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