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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
四食
仏教の教えに四食という教えがある。

私たちは食べることで、幸せを感じ、心が満たされる。仏教では、私たちには食べることにも四つの段階があり、一つが満たされることによって、次の欲求が起きてくると教えられる。

まず、始めの段階が段食。
段食とは、まず始めの段階で、私たちは食うや食わずの生活をしている人は、どうしてら食べてゆけるか。どうしたら生活に困らないかしか考えない。そして、衣食住が満たせたならば、それが幸せだと思っている。

しかし、衣食住が満たせたならば、それで幸せかというとそうではない。段食が満たせたならば、次に触食という段階に入る。

この触食とは何かと言えば、他人から自分の存在を認めてもらいたい。自分はここにいるのだということを感じたいという欲求。

だから、私たちは衣食住が満たされたら幸せという訳ではなく、衣食住が満たした人は、次にまわりの人から認めてもらいたいと思うようになる。

人は認めてもらいたくて、子供なら、親の言うことを聞くし、愛してもらいたくて、親の望むような人間になろうとする。

そして、親から認められなかった人は、まわりの人から認めてもらいたいと思って、頑張るようになる。勉強ができたら、スポーツ紙ができたら、クラスメートから認められると思って、頑張る。

また、多くの人が地位や名誉や財産を求めるのも、他人から認めてもらいたいからであって、他人から認めてもらう為に高級車やブランド品を買う。

このように多くの人が生きているのは、この触食を満たす為。そして、満たしたくても、自分の思うように認めてくれる人がいないので、みんな触食の段階で留まっているのです。

では、触食が満たしたならば、次にどんな欲求が起きるか?

それは自分の人生を思うように生きたいという欲求が起きてきます。誰もが自分の人生を自分の望むように生きてゆきたいと思っている。でも、それが本当にできるのは、触食が満たされなければできません。

この段階を思食と言います。思食とは、他人から認めてもらえるか、もらえないか関係なく、自分の人生に目標を持って、自分の生きたいように生きることです。

自分は何がしたいのか。今まで他人から認められるかどうかに縛られていた人生が、自分の望むように自分の人生を変えてゆく生き方に変えてゆく。
この段階に来て、私たちは初めて自分はこの人生で何がしたいなかを悩むようになります。

それまでは、自分がこうしたいと思ったことも、その根底には、そうしたならば、他人から認めてもらえるからというのがあり、自分の人生を自分で選んでいるように見えて、他人から認めてもらう為に生きていることになってしまいます。

そして、自分の人生を望むように生きた人に、それでも満たされない自分の心が見えてきます。だから、この心が満たされるような生き方がしたいと思えるようになります。

これが最後の段階の識食と言われるものです。そして、心が満たされる為には、自分の心を不安にさせる悪を止めて、自分の心を幸せにする善をやってゆくしかないと知らされる。

この心を幸せにする為に廃悪修善に心がけてゆく。このようにして、私たちは本当に心を満たしてゆくことができるのです。

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