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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
二河白道
二河白道とは、回向発願心とは、自分の生きている環境を煩悩のない浄土へと変えてゆきたいと願いを起こし、その為に相手に動いてもらいたいと思うことなく、自分が動いてゆこうと思う心です。たとえば家族の中で喧嘩になった時、私たちは相手がこうしてくれなかったら、私はこんな気持ちにはならなかったのにと思います。これが相手に変わってもらいたいと思う心です。私たちは相手に間違いがあると感じた時、その相手に自分が悪かったと認めさせれば、相手は正してくれると思っています。しかし、現実は相手に間違いを指摘しても相手は反発してしまい、自分の間違いを認めることはしません。だから、私たちは自分が上だと認めさせれば、相手は悪い所を正すのだと思って、相手に力を見せつけ、服従させようとします。でも、浄土とはそんな上下を離れた世界。だから、相手が間違っていたとしても、自分が上になって正すことはできない。そこで仏教では自分が相手に望んでいること。たとえば、もっと優しい言葉をかけてもらいたいと思ったならば、自分がまず優しい言葉をかけてゆく。自分がいる環境を仏様の住む浄土に変えたいと思ったら、まず自分が仏様のような慈悲の心で相手に温かいものを与え続けてゆく。それによって相手を温かい心に変えてゆこうとする。それが回向発願心です。私が私の持てるすべてを相手に施して、相手の心を清らかにして、そして、それによって自分も相手もこの世界を浄土へと変えてゆきたいと思う心です。この世界を浄土へと変えるには、相手が変わって欲しいとか、相手が動くべきだと思うのではなく、自分が相手に望むことを相手に与えてゆく。私たちは当たり前のように自分のまわりの人たちに仏を求めます。それができていないと相手を責めて、相手に間違ったと認めさせて正してもらおうとします。しかし、それではお互いに相手を責め合う鬼の世界が生み出されるだけで浄土が生み出されることはありません。浄土を求める人というのは、相手を変えようとするのではなく、自分が変わる。相手から冷たい仕打ちを受けたならば、私は相手に対して温かい心を向けてゆく。そう思った時に私の心が二河白道になるのです。どんなに相手を変えるのではない、自分が温かいものを相手に与えてゆくのだと思っても、それでも、心の中では相手が悪いという心が吹き上がる。それはどうして起きるのか?それは相手が変わってくれたら、その分だけ自分は楽ができて、欲に流れることができるから。私たちは自分が楽がしたいという思いで他人に指摘してはいないか。自分の欲が妨げられたから、相手に怒ってはいないか。いつも欲を満たすことばかり考えているものが私たち。だから、自分が欲を満たす為に相手に動いて欲しいと思ってしまう。それが一番よく感じるのは、相手からこれして、あれしてと言われた時、自分は一生懸命動いているのに、相手が楽して欲に流れていると腹が立つ心はありませんか?それこそ、自分が暇さえあれば、欲に流れたいと思っている心。欲に流れたいと思っているから、自分が動いて、相手が楽をしていると腹が立つ。この心から離れてゆく。それが二河白道。これが回向発願心の道なのです。



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