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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
誰だって親が欲しい
何かに価値を置いて、自分の存在を感じている人ほど、その価値を否定された時に、誰かを悪者にして、その相手を否定したり、自分が悪かったんだと思って、自分を否定してしまう。

こうやって否定するのは、価値のある自分だという所に立ちたいから。否定すれば、正義という価値が自分にあると思える。だから、否定することは苦しみを生み出し、後から自分が苦しまなければならないのに、心の中では猛烈に否定の心が吹き上がり、自分では止めることができない。

でも、それほど価値にとらわられてしまうのは、価値のある人間は、まわりの人から大事にされると思っているから。だから、価値を失うと他人は私のことを見捨てる。その不安から、どうしても価値のある自分であり続けようとして、正義に立つ為に自分も他人も関係なく見境なく責めてしまう。

でも、本当は、この人がしたいことは、こんな自分でも見捨てないで認めて欲しいだけ。

でも、価値のある人間は、認められても価値のない人間は、見捨てられると思っているから、どうせ見捨てられるなら、自分は誰も頼ることなく一人で生きてゆくと開き直っている。

だから、正直になることができず、安易に責めることで解決しようとしてしまうのです。

この価値のない自分なんか誰も相手にしてはくれないという思いが、苦しみを生み出す。そして、正義だけでなく、価値にしがみつき、価値さえあれば、私は一人で生きてゆけると思って、自分の本当の気持ちには気付かせない。

本当はその人は寂しいだけ。価値を失ったこんな自分でも、自分は自分なりに頑張ったから認めてはくれませんかと相手にお願いすることができたならば、この人の心はどれほどか救われるだろうに。

それでも、自分のことを本当に認めてくれる人なんていないという思いがあるから、正直になって、他人に頼ることが怖い。そんな人に私の存在を認めてくれる人が現れたとしても、やっぱりこの人
に心を支えてもらおうと思えず、やっぱり迷惑なんじゃないかと思ってしまう。

苦しみを取り除くには、まずは支えてくれる人のことを信じることが必要。私たちはそんな支えてくれる人がいなかったから、誰も価値のない自分のことなんか相手にしないと思ってしまった。自分の親からさえも、否定された人は、この世に自分を見捨てない人なんていないと思ってしまうのは当然のこと。

その人に私は絶対に見捨てないと支えてゆくのが、善知識の役目。善知識は価値があるとかないとかに関係なく、相手の存在を認めてあげる人。そういう人が善知識であり、善知識はそういう人でなければならない。

この世にそういう人がいなければ、誰も救われない。まず見捨てない善知識がいて、それでいて、相手に対して、正直な気持ちを出してもらえるように勧める。

正直な気持ちを出すことは勇気が必要。それでも勇気を出して、善知識を信じて正直な気持ちを出してもらう。

そうすることによって、少しずつだが価値にとらわれなくなる。悪を否定しなくて済むようになる。大事なことは、悪を否定するのは、寂しいから。でも、見捨てられるのが怖くて正直になれないということ。

だから、時間をかけて、信頼関係を築き上げてゆく。つまり、善知識がその人の親となって気持ちを受け止めてゆく。誰だって価値とは関係なく、自分なことを認めてくれる存在が必要。その人に出会って、心を支えてもらった時、どんなに苦しんでいる人も悪を否定することがなくなり救われるのです。

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