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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
清浄光明ならびなし
清浄光明ならびなし 遇斯光のゆへなれば 一切の業繋ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ  


阿弥陀仏の光明は、その光に照らされたものをこの世に執着する心から解き放ち、清浄にしてくれる。


ここで清浄とは何か?


私たちは迷っているので、自分の思い通りにできることが幸せだと思って、この世の価値のあるものに我をつけて、自分のものにしようとしている。しかし、自分のものになったからと言って、それを粗末に扱うと、それが自分へと跳ね返り、自分が粗末に扱われているように感じて、大事にしてもらおうとして、ますます価値のあるに執着し、それを手に入れることで、価値のある人間になろうとしている。


しかし、価値のあるものは限られているので、私たちは少しでも価値を手に入れたいと思って、まわりの人と争い、勝った負けた、あの人より認められた、認められなかった、損か得かを問題にして罪悪を犯している。


そして、せっかく手に入れた価値も、この世だけのものだから、失いたくないと執着し、いつまでもこの世に留まっていたいと願う。そして、この世の価値に執着するあまり、様々な醜い感情を起こし、その報いで苦しみ続けている。これが業繋。


しかし、阿弥陀仏の光明に照らされることによって、この世のすべてのものは無常であると知らされ、この世のありとあらゆるものに執着することができなくなってくる。だから、自分のものにするのではなく、これは一時自分の元にやってきているものだから、無常によって離れてしまう時が来るまで大事にしてゆこうと思うようになる。この心が清浄。


阿弥陀仏の光明はどんな仏の光明よりも無常を深く知らせるので、清浄光明ならびなしと言われる。


その阿弥陀仏の光明に出会ったならば、どんなに迷いが深くこの世の価値に執着している人も、自分のものになるものは何一つないと知らされ、この心こそ、最後までついてきてくれるものだから、心穏やかな優しい思いをいつも起こしてゆこうと、迷いの世界から悟りの世界へと心が移ってゆく。


迷いの世界とは、物質にとらわれ、価値のあるものを手に入れたら幸せになれると思って、他人と争ってまで価値を手に入れる世界。それがどんな幸せも心で感じるものだから、この心をいつも幸せな心にしたいと思い、穏やかで暖かい思いを起こしてゆこうと思うようになるのが、悟りの世界。


その迷いの世界から、悟りの世界へと私たちを導いてくれる存在が阿弥陀仏だから、阿弥陀仏のことを畢竟依と言われ、畢竟依に帰命せよと言われたのです。


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