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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
預流果という境地
預流果になるとは、正直な心になること。それは寂しい時には、寂しいと感じて、その寂しさを解消する為に、正直に相手に向き合うことができる境地。

私たちは本当は寂しいくせに、その寂しさを感じたくないから、思い通りにならない相手を責めて、自分を正しい所に置こうとする。

正直な心になる前の私たちは、何が正しいか、何が間違っているかを問題にして、無意識のうちに間違ったことをしている人を見下して、自分は正しいことをしているのだという正しさという世界の中にいる。

その世界の中では、いつも自分は正しい所に立って、他人を見下している世界。そして、自分が正しい所に立つ為に平気で自分にも相手にも嘘をつく世界。

だから、本当は寂しいのに、そのことに気づかず、自分の正しさを証明して、如何に自分が価値のある人間かということを認めてもらうことしか考えていない。

正しい人間は価値があり、他人から大事にされると無意識のうちに思っている。本当はどんなに正しさにこだわって、相手に自分の正しさを証明できたとしても、相手は認めてくれる訳ではないのに、認めてくれなければ、認めてくれないで、認めない相手が悪いとしか思えない。だから、認めない相手を否定して、自分の正しさを証明しようとする。

でも、本当は認めて欲しいだけなんだなと自分の本当の気持ちには気づかない。

でも、預流果になると、正直に、自分はただ認めて欲しいだけなんだなということに気づく。そして、自分はいつも寂しさを抱えながら生きているのだということに気づく。そして、その寂しさを癒やす為ならば、今まで自分が問題にしていた正義なんてどうでもいいと思えるようになる。

例えば、相手と喧嘩したならば、自分が百パーセント悪くなくても、相手と気まずい空気になるのが嫌だから、自分から頭を下げる。それで相手から馬鹿にされたとしても、見下されたとしてもいいと思える。自分は寂しいのだから、自分から近づいてゆけばいいと素直に思える。

正しさにこだわる人ほど、自分が悪く思えるようになると、本当は自分は寂しくて、こんな自分を認めて欲しいのに、こんな自分ではダメなんだと思い、独りになろうとする。

こんな自分だっていいじゃないかと思えない。いつもこんな自分にならないように頑張っているし、こんな自分と思われないように振る舞う。

でも、預流果になると、そんな他人からどう思われるかなんてどうでもいいと思えるようになる。そんなことよりも、相手と楽しく時間を過ごしたいと思って、自分から近づいてゆく。いつも自分には寂しさがあり、その寂しさを解消する為に素直に生きるようになる。

だから、自分の感情に対してまっすぐになる。シンプルに寂しいから、そばにいたい。ただそれだけになる。そこには、自分のプライドを傷つけられたとか、他人からどう見られるかということは関係ない。ただ自分の感情に対してシンプルに動くだけ。これが預流果という境地なのです。
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