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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
私は私でいいんだ
私たちは、悪い人を見て、あの人はあんなことをするから悪いと否定しているが、仏教から言ったならば、この世に悪い人なんていない。
それは、どんなに悪い人であったとしても、その人を否定することは、自分を否定することになるからだ。

私たちは誰かを否定すると、相手に向けた刃は自分にも向く。だから、自分も否定されないように、悪いことをしないようにする。でも、どんなに悪いことをしないようにしていても、他人を責める人には、刃ができるから、その刃は他人に向くか、自分に向くか。いつも誰かの存在を否定している。その刃が他人に向いている時はいいが、必ず自分に向く時が来る。自分が他人の悪を見て、その人の存在を否定したように、自分の悪が見えた時には、自分の存在は否定されているように感じる。

それが、自分の中でどんなに頑張ったとしても、容易には変わらないものなら、その刃はいつも自分に向かい、自分の存在を否定し続ける。誰かが自分のことを責めているように感じて、ちょっとしたことで、相手は私のことを責めているのではないかと疑う。本当は誰も自分のことを責めている人なんていないのに、自分の心の中では、世界中の人が自分のことを責めているような感じがして、自分の存在が否定されて苦しむ。

結局、他人を否定することは、自分も相手も関係なく、悪を否定する刃を作るだけ。その刃は時限爆弾のように、自分が悪をするのを待っている。そして、どうしようもない自分の悪を見た時、刃は容赦なく自分の存在を否定する。

だから、私たちは他人を否定している時は、自分はこんな悪いことをしないと思って否定しているが、この刃はこんな悪をしなくても、自分が悪だと思ったことをやったならば、容赦なく自分を切り裂く。

だから、他人を否定することは自分を否定することと同じ。結局は他人を否定して苦しむのは自分。

そういう意味で、この世に否定してもいい悪人なんていない。どんな悪人でも、その人を否定することは自分を否定することになるとしたら、相手を否定すること以上に恐ろしい悪はない。

だから、どんな悪人であっても、仏教では自分が苦しみたくないから、この人の存在を否定することはしない。そうやって、否定しなくなれば、自分の中に悪を見ても、否定することはなくなる。

他人の悪を見ても、この人はこの人でいいんだと思うように、どうしようもない悪を抱える自分であっても、私は私でいいんだと思えるようになるのです。
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