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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
本願圓頓一乗は
本願圓頓一乗は 逆悪摂すと信知して 煩悩菩提体無二と すみやかにとくさとらまし

阿弥陀仏の本願に救われることは、阿弥陀仏から大慈悲の心を頂くから、どんな極悪人であっても、阿弥陀仏から頂いた大慈悲の心によって、利他菩薩の道を進むことができ、すみやかに菩薩の世界まで到達することができる。

その世界は現実と向き合うことが嫌で、煩悩を起こして現実から逃げようとすればするほど、阿弥陀仏から頂いた信心によって現実と向き合い二河白道を進まずにはおれなくさせて頂ける。だから、二河白道をどんな人も進んでゆくことができるので、菩薩の世界へとすみやかに進んでゆくことができるのです。

阿弥陀仏の本願に救われることは、救いではない。あくまでも救われる為の手段でしかない。だから、阿弥陀仏の本願に救われたら、足すものも引くものもない救いではない。その時、悟りに到達する為のスタートラインに立つことができる。そこから、現実と向き合い、ひたすら進んでゆかなければならない。私たちは現実と向き合うことに恐れを起こし、煩悩を起こして現実から逃げて続けている。他人を責めるのも、他人を切るのも、現実から逃げている人がすること。それは現実から逃げれば、自分は善人だという所に立って悪人を見下すことができる。しかし、現実と向き合い始めると、善人という所に立つことができなくなる。だから、苦しい。今まで悪人に対してやってきたことが自分に刃を向けてやってくるからだ。だから、普通は悪人が見えると、煩悩を起こして現実から逃げてしまう。しかし、悟りを開くためには、現実と向き合い続け、二河白道を進まなければならない。だからこそ、信心が必要なのである。信心があれば、どんなに現実と向き合うことができないほど、悪人を責めているものであっても、苦しみながらも現実と向き合い続け、悟りを開くことができる。信心とは、どんな極悪人であっても、救われる道なのである。

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