他人が誉められると否定されるように感じるのは |
他人が誉められると、自分が否定されているように感じる人がいる。
これは、その人は誰かが誉められると、その人と比較して、自分はダメなんだと思ってしまい、自分が否定されているように感じていると思っている。
しかし、実際は、誰かが誉められるから、自分が否定されているように感じるのではない。否定されているのは、いつもであって、それが感じるのは、誰かが誉められる時なのである。
私たちには、理性と感情がある。この否定されているように感じるのは、感情がいつも否定されているから。否定されていると言っても、実際は否定しているのではなく、理性が感情のことを全く無視して生きているという状態。感情からしてみれば、私がここに存在しているのに、存在していないかのように理性は振る舞っている。でも、感情は見捨てられたくないから我慢して理性に従っている。
でも、誰かが誉められると、感情からしてみれば、私は存在を全く無視されているのに、認められている人がいることは許せないこと。だから、感情は、自分の存在を認識して欲しくて、ムクムクと吹き上がる。
しかし、その感情というのは、いつも存在を無視されているような世界にいるから、そんな感情が出てくると、存在が無視されているように感じてしまう。そして、それに対して、理性は、あの人は認められるけど、私は認められない。だから、無視されているように感じるのだなと思ってしまい、さらに自分はダメなんだと自分の感情を否定してしまうのである。
感情からしてみれば、自分の存在を分かって欲しいだかなのに、その感情が無視されているような世界にいるから、無視されているように感じてしまう。だから、無視されるような自分が悪いと、さらに責められる。
だから、感情からしてみれば、こんなに無視される世界にいて苦しいという気持ちを分かって欲しいだけなのに、分かってもらえる所か、お前はダメなんだと否定される。
そんな感情は分かってもらえることなく、いつも存在を無視されているから、見捨てられることが怖くて、理性に従っている。
だから、当の本人は感情の話を聞いても、感情が何か分からないから、ピンと来ない。自分に無視されている感情なんてあるのだろうかと思ってしまうのである。
でも、もし無視されている感情が無かったら、誰かが誉められたとしても、無視されているように感じることはない。つまり、誰かが誉められることを通して、感情が吹き上がっているのである。
だから、感情が吹き上がってきた時に、誰かが誉められたから、こんな感情になったと思わずに、これが私の感情であり、私がいつもこの感情の存在を無視して生きてきたから、今無視されているように感じるのだと、感情の存在に気づいてあげて、今まで無視してごめんねと、吹き上がってきた感情に対して、いたわってあげることが大切なのです。
私たちにとって感情とは本体。この感情を無視したら、自分が無視されているように感じて苦しむのに、私たちは思い通りに物事が進んでいる間は、この感情が見えない。だから、時折、吹き上がる感情に対して、こんなことがあるから、こんな風に思うのだと思っている。しかし、このように思うのは、いつもそんな世界に自分がしているから。誰か悪いのでもない、自分が自分の感情を無視しているから、無視されているように感じるのです。
すべての原因は自分。このことに気づくことで、私たちは今まで気づかなかった感情の存在に気づき、自分を責めるのではなく、いたわることができるようになるのです。
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