時々、読ませて頂いています。
お子様の微笑ましいお姿、成長ぶり、幸せそうで何よりです。
「仏教では、このように善悪とらわれることを疑情と教えら
これが私たちを苦しめる、苦しみの根本であると教えられています。」
疑情は、確かに苦しめる根本ですが、本願疑惑心ではないでしょうか。
善悪にとらわれているのは、疑煩悩ではないかと思うのですが。
本願疑惑は「摂取の光明」で、たちどころに消えてしまい、そのまま死ぬまで変わらない御恩報謝の身にさせて頂きます。
しかし、死ぬまで凡夫の我々は、疑煩悩は消えないので、物事を善とか悪とかに分けてみたり、世間の価値観で判断してしまいがちだと思います。
以上、感想を書いてみました。
【2009/04/13 05:41】
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コメントありがとうございました。
私が尊敬している細川さんの本には、本願疑惑心とは、
善悪にとらわれている心であると教えられていました。
阿弥陀仏はどんな極悪人でも救うと誓われているということは、
悪を造っているものでも見捨てず救うということです。
しかし、私たちは悪をしたら助からないと思っています。
これが善悪にとらわれている心であり、これによって私たちは苦しんでいます。
疑情とは、言葉をかえると信罪福心のことであり、善悪にとらわれている心のことだと
思います。
以上、私も感想を述べさせていただきました。
【2009/04/13 19:04】
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