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幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
執着が強くなるとまわりが見えなくなる
執着が強くなるとまわりが見えなくなる。
それはちょうど車に乗ってスピードを上げてゆくようなもの。スピードを上げれば上げるほど目の前のことしか見えなくなるように、執着が強くなると目の前のことしか考えなくなる。
そして、無意識のうちに他人を押しのけ、自分の我を通すようになる。

執着とは自覚なく他人を傷つける心。

執着が強い人は知らず知らずのうちに、まわりの人を不快にさせて、自分を孤独にしてゆく。
しかも、執着の強い間は、自分が孤独になって寂しい心を抱えていることさえも気付かないのである。

面倒臭い心を断ち切ろうとすることは、感情を殺すことにならないのか
面倒臭い心を断ち切ろうとすることは、自分の感情を殺すことにならないのか?

面倒臭い心を断ち切ることと、面倒臭い心を我慢して自分の感情を殺すこととは意味が違います。
面倒臭い心を断ち切るとは、自分の心から起きた“これをしたい”という思いを今はできないからと諦めて、心の中から引っ込めることを言います。

それに対して、自分の思いを我慢している人は、今はできなくても後からやろうと自分の思いを諦めることなく残しています。

こうやって残しておくと、他のことをやっている時も、心の中では早く終わらせて、欲を満たしたいと思っているので、気持ち良く目の前のことができず、自分の感情を我慢しながらやらなければなりません。

要は自分の中に起きた思いを残していたら我慢しなければならないし、心から消したら気持ち良くできる。
これが断ち切るのと我慢するのとの違いです。
  

死にたくないから世界を固定して死なないと思っている
私たちは、誰しも死にたくないと思っている。
そして、死にたくないから死なないのだと思おうとして、自分の身のまわりの世界を固定している。そうやって、世界を固定することで、時の流れを見えないようにして、まるで時が止まっているかのように思っている。 

つまり、私たちは、死ぬのが怖いから、世界を固定して、永遠に生きられるように思っているのである。

人は誰だって必ず死んでゆかなければならない。

それが世界を固定すると見えなくなるから、自分は死なないと思って、安心して私たちは生きている。

そうやって、いつまでも生きられると思っている心こそ執着。

私たちは、いつまでも生きておれると思っているからこそ、時間をだらだらと無駄に過ごすことができる。
 
また、自分がやがて死んでゆくと思いたくないからこそ、余計、執着によって無常を隠し、自分が死ぬと思えなくさせ、だらだらと無駄に過ごしてしまう。

それほど自分が死ぬのが恐ろしいと思っているものが人間なんですね。

執着が強くなると見ているようで見なくなる
執着とは無常を否定する心。
だから、執着が強くなると、身のまわりでいつも無常が起きているのに、見ているようで見ていない為に、その変化に気付かない。そして、一度自分のものになったものは永遠に自分の元から離れないと思っている。

物も人も離れないと思ったら、大事に扱うことはしない。

それはどんな扱いをしても自分が手に入れたものは変わらないと思っているから。そうやって、自分のそばにあるものを見なくなり、いつの間にか放置するようになる。

物も人も見なくなるとホコリが溜まる。雑に扱えば傷つく。そして、物や人にやったことは因果応報で自分の元へと返ってくる。

目の前にあるものこそ未来の自分の姿。

だからこそ、物も人もちゃんと見てあげなければならない。そうしないとその報いが自分の元にやってきた時、苦しまなければならなくなるのです。

我慢しても不満がたまるだけ
今しなければならないことを後回しにしていると、いつの間にか心の中に溜まってゆくものが執着。

この執着が溜まると何をするのも面倒臭くなって、やりたくなくなる。それで、どうしてもやらないといけなくなるまで、先送りにしてゆく。
そして、自分のやるべきことを他人に押し付けるようになる。

そうだから、自分がやらなくていいことは平気で他人に押し付けるし、自分でやろうとはしない。また、面倒臭い気持ちがありながら、やろうとするとどうして自分がやらなくてはならないのかと不満が出てくる。
この面倒臭い気持ちが強くなると心が重くなる。そして、生きること自体が苦しくなる。

この面倒臭い気持ちを減らしてゆくにはどうしたらいいか。

それは面倒臭い時に、面倒臭いからやらないと思うのではなく、面倒臭いから、余計やらなくてはならないと面倒臭い気持ちを断ち切ってやること。

この時大事なことは、いくらやっても、面倒臭い気持ちを我慢するだけならば、我慢した分だけ、後から腹が立つ。
我慢するのではなく、面倒臭いという心を断ち切ること。
それは自分の気持ちを無理に抑えるのではなく、よしやろうと心を切り替えること。
この面倒臭いという執着を切ったならば、気持ち良く動くことができる。この切る心こそ布施。

布施をしたら心は軽くなる。自分の心の掃除の為にも布施は続けてゆきたいですね。



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