幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
責任は自分が取る
よく私たちは何か問題があった時に誰がやったかを問題にして、やった人を責める。
でも、真実から言ったならば、誰がやったかは問題ではない。誰がやったかではなく、誰に責任があるか、それを問題にしなければならない。
誰がやったかを問題にする人ほど、失敗しない所に自分が立つ。そして、失敗しそうな時には、他人に押し付ける。そうやって、失敗したら、やった人を責める。何で失敗したんだと容赦なく責める。
いつも他人に面倒臭いことは押しつけているから、自分が失敗することはしない。だから、いつまでも失敗しない所に自分が立っておれるし、失敗した人を徹底的に責めることができる。
失敗しない人ほど、自分ではやらなくて、他人に押しつけている。
でも、真実から言ったならば、たとえ他人に押し付けたとしても、自分に責任のあることは自分が謝らなければならない。
そこで自分の感情を納得させる為に失敗した人を責めるのは仕方ない。でも、最後は自分が責任を取って自分が謝らなければならない。そういう意味で、誰がやったかは問題ではない。誰の責任か、それだけが大事。責任は自分にあると素直に認められる人になりたいですね。
責任は自分にある
どんなに子供の望むことはやってあげなさいと言っても、時には自分のことは自分ですることが大事であると教えてあげなければならない時もある。
それはどんな時か?
それは子供の為に動いてあげたのに、子供がそれに対して思い通りにならないことがあって、親のせいだと責めてきた時。
そういう時は、責めてきた子供に対して、そんなに責めるならば、自分のことは自分でしなさいと突っぱねていい。
そうすることで、子供は自分のことは自分でしなければならないと覚える。
確かに子供のことが好きだから、子供のために動いてあげたい気持ちもある。でも、同時に子供に対しては、あくまでも親は自分のやるべきことを手伝ってくれているだけで、そこで何か不都合なことがあった時には、自分が責任を取らなければならないのだということを自覚してもらう。
だから、自分が責任を取らなければならないことに対しても、親のせいにしてきた時、それじゃあ、文句があるなら、自分でやりなさいと子供に責任を取らせる。
そうすることで、子供は親が手伝ってくれることは当たり前じゃないと思えるし、自分のことは自分でしなければならないと覚える。
それが分かった上で手伝ってもらうことは手伝ってもらうようになる。基本は子供に何でも一人でやらせるのではなく、子供がやってというものは気持ち良く動いてあげる。
その上で、自分の思い通りにならないことがあって、親のせいだと責めてきた時には、あえて子供にやらせる。
そうすることで、子供は責任は自分にあるんだと思えるようになって、失敗しても、親のせいにすることは無くなるのです。
子供に自分のことは自分でしなさいと育てるのは禁句
よく自分のことは自分でやらなければと言うが、仏教的には、この言葉は子供に対して使わない方がいい。それはなぜかと言えば、多くの場合、自分のことは自分でしなさいという親に限って、本心から言ったら、子供に対して面倒臭いことはしたくないからだ。
結局、親は自分のことは自分でしなさいと口では上手いことを言いながら、本心では、ただ子供のために面倒臭いことはやりたくないだけ。
そうやって、育てられた子供は確かに自分のことは自分でするようになるが、親から愛されているようには感じない。だから、親子でありながら、何か他人のような関係となる。このように育った子供は親と一緒に暮らしたいとは思わない。むしろ親のいない所で暮らしたいとさえ思う。だから、親からしてみたら、お金をかけてここまで育てたのに、何か冷たいと感じるようになる。
でも、そのように育てたのは親自身。子供には罪はない。子供というのは、親に対して自分のできることでもやってもらいたいもの。それを子供はもう自分でできるから、自分のことは自分でさせるのではなく、子供が望んでいることを気持ち良くしてあげる。それは子供のことを愛しているから、好きだから。子供のことをやってあげたいと思ってやってあげる。子供が望むことは、なるべくやってあげたいと思う。そうすることで、子供も自分のことを愛されていると感じるし、自分が大人になった時に、自分の親に対して面倒臭くてもやってあげたいと思えるようになる。
子供のことに対して面倒臭くても、腰軽く動く。それによって、子供もこの親といつまでも一緒に過ごしてゆきたいと思えるようになる。
せっかく育てても、子供が自分から離れてもいいと思ってしまうのは寂しいこと。特にその寂しさは老後になれば余計強く感じるものです。だからこそ、子供のために気持ち良く動く。それが子育てにおいて大事な心がけなんだと思いました。
たった一言が違う
この世界には自分だけじゃなくて、色々な人が住んでいる。だからこそ、自分のことだけ考えるのではなくて、他人のことも考えてあげなければならない。
私たちは不思議なものでたった一言で心が安らぐこともあれば、たった一言で機嫌が悪くなることもある。
どうせならこの口で相手が喜ぶような一言が言えるようになりたい。
常に相手の心に目を向けてゆき、相手が喜んでもらえるように心がける。
自分にはそういう所が欠けているからこそ、心がけて相手が喜ぶようなことを言ってゆきたい。
そうすることで、相手から必要とされるようになる。
必要とされる人間とは、相手を喜ばせるようなことを常に考えているような人だと思います。
たった一言の力。その力で相手が喜ぶように心がけて生きてゆきたいなと思いました。
1日は早く過ぎてゆく
1日ってあっという間に過ぎてゆく。時計を見ながら、もう一時間過ぎたなあと思いながら、時って止めることもできず、どんどんと過ぎ去ってゆくのを感じる。
今日という1日が楽しければ楽しいほど、この今日にしがみついていたいと思うのに、気がつくと何時間という時間が過ぎている。
こうやって時がどんどんと過ぎてゆくのかなあと思いながら、それでも今日という日にしがみついていたいと思ってしまう。
時を止めることはできないものかなと思ってしまいます。


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