ぼっちな人を救うには |
ぼっちな人は、基本的に心を開くことはありません。それは心を開いて調子に乗ると、他人を傷つけて、嫌われると思っているからです。
そんなことで他人はあなたを嫌いにはならないよと言っても、そんなことは分からない。嫌われるかも知れないと言って頑なに自分の考えを変えません。
ぼっちな人は嫌われることが怖い。それは自分のことを誰よりも嫌いだからです。自分が自分のことを嫌いだから、まわりの人からも嫌われるのだと思ってしまうのです。
そして、嫌われないように、まわりの人に迷惑をかけないように、不快な思いをさせないように気をつける余り、他人と接することが怖くなるのです。
ぼっちな人を救うには、迷惑をかけても、好きでいてくれる人が必要です。その人に対して少しずつ心を開き、迷惑をかけても、変わらぬ愛情で接してもらうことで、自分に対して嫌いだと思う心が減ってきます。
自分はホントダメダメだけど、こんな自分の為に愛してくれる人がいる。そう思うことで、今の自分じゃダメだという思いから、今の自分でもいいんだと思えるようになります。
愛情は人の心を開かせ、人を変える。他人を幸せにすることができるのです。
|

空とは |
私たちは価値を問題にする。価値のあるものはここにいてもいいが、価値のないものはここにいてはいけないと思っています。
だから、私たちは人生を通して価値のあるものを求め続け、自分のものにしようとします。
しかし、どんなに価値のあるものを手に入れたとしても、死んでゆく時には何一つ持ってゆくことはできません。
この事実が知らされた時、今あるものは、何の価値もなくなる。持っていながら、ないのと一緒になるのです。
これを仏教で空と言います。
死を目の前にした時、すべては空となる。そして、価値のない自分になってしまうのです。
だから、幸せになるとは価値のある人間になることではなく、価値のない人間でも否定しなくなること。
苦しみは価値が無くなることではありません。価値のないものを否定する所から生み出されるのです。
|

我の世界を離れると |
私たちの生きている世界と仏様の見ている世界は違う。私たちは我の世界に生きていて、仏様は真実の世界に生きている。
私たちは我の世界に生きていて、死んでも、自分の我のまま死んでゆけると思っています。
でも、実際は死ぬと我を失い、心は不安に包まれます。なぜ不安に包まれるのか。それはこうしていたら安心とすがっていた我を失うからです。
この時、私たちは自分の肯定する為に、自分の悪を否定します。否定している間は、自分を肯定できる。その為、自分を肯定する為に、自分を否定し続け、苦しみ続けることになります。
自分が苦しむのは、自分で自分を否定するから。自ら苦しみを生み出すので、どこにいても苦しみ続けることになるのです。
だからこそ、生きている時に、自分の死を受け入れ、不安な世界の中でも自分を否定しないようにならなければならない。
生きている時に不安な世界を知ることが、死んで不安な世界から離れる為に大切なこと。
我の世界はやがて崩れる。だからこそ、不安な世界と向き合わなければならないのですね。
|

時間があると思うから無駄にしてしまう |
毎日が流れるように過ぎ去ってゆく中で、今を大事にすることは、非常に難しいと思います。
私たちはすぐに時間はまだまだあると思いがちです。すると、時間ができても、時間があるからと思って、すぐに欲に流れてしまい、時間を大事にすることはしません。
結果的に、時間がどれだけあっても、本当に時間が無くなるまで、欲に流れてしまい、時間がなくなってから、やるべき事を急いでやるを繰り返しています。
時間はあると思うから、無駄に使ってしまう。だから、いつも時間はないと思うことが時間を大切に使う為に大切なことだと思います。
では、時間がないと思うにはどうしたらいいか。
その為には、やるべき事を書いて、それを見ながら行動することが大切です。
そして、やるべき事をやり終えたら、未来のスケジュールを見て、必要なことを書き加えてゆく。
そうすることで、今目の前のやるべき事が終わっても、次には、これをやると意識するので、時間があると思って過ごすことが無くなります。
やるべき事、やりたい事はたくさんあるのに、それを書かなければ、何もやらないまま、どうでもいいことに時間を費やしてしまう。
時間は限られている。その時間を如何に心を込めて大切に過ごすか。それが大事な事なんですね。
|

人は愛欲の広海に沈んでる |
親鸞聖人は人間とは愛欲の広海に沈んでいるものだと教えられている。愛欲とは、愛して欲しい、大事にして欲しいという心のこと。
だから、みんな自分のことを心をかけて欲しいと思っているのです。
心をかけて欲しいから、価値のある存在になる為に頑張る。でも、頑張って、他人の為に尽くしても、他人は安心して他の方を向いてしまい、自分の方を見てはくれません。
だから、みんな寂しい心を抱えながら生きています。
この見て欲しいという心を満たしてくれる存在こそ、私たちが最も必要としている人なのです。
人は見てもらえることで安心する。
ここに自分は存在していると感じます。
でも、見てあげられる人が圧倒的に少ない。だから、みんな餓鬼のように見てもらおうとして、求め続け、苦しみ続けているのだと思います。
人を幸せにするのは、金じゃない。ただ心をかけて見てあげるだけで、幸せになることができるのですね。
|
|
|
|