幸せのこころとかたち
やっぱり幸せって続けることによって、得られるものだと思うんです
時間を大事にしてゆきたい

人生って自分の思い通りにならないことが多い。

でも、思い通りにならない中、今自分にやってきているものを大事にしたら、自分の身の回りで幸せが生み出される。

でも、私はなかなか自分を必要としてくれる人の為に時間を使うことができていないなあと感じます。

自分にやってくる人は自分を幸せにしてくれる人なのに、その人の気持ちを大事にして時間をかけてあげることができていない。

そうやって、大事にできないまま、時がどんどんと過ぎてしまうのだなあと思うと、ホント、人生を幸せに生きることは難しいことだなあと感じます。

自分に集まってきてくれた人の為に生きる。

それが人間にとって一番幸せなことなんだと思うのに。

それができたらと思わずにおれません。


自分のことが嫌い

よく自分のことが嫌いという声を聞く。

自分のことが嫌いって、自分の判断基準に照らし合わせて、自分ができていないから嫌いだということ。

だから、客観的に見て、自分は悪い人間だから嫌いだという訳ではなく、あくまでも自分の基準で自分ができていないから嫌いだということ。

自分が嫌いだという人ほど、他人に対しても自分に対しても要求レベルが高い。

要求レベルが高いから、自分から見て相手が悪いと思ったならば、容赦なく相手を否定する。

その時、こんなことも出来ないのかと否定した後、そんなこともできないなんて、まともな人間じゃないかのように否定する。

そうやって、否定するから、それが跳ね返って自分も否定されているように感じる。

ちょっとでもできないことがあると、そんなこともできない自分は駄目な人間かのように思ってしまう。

そして、生きる価値のない人間かのように思う。

でも、それは自分が駄目な人間だと思っているだけで、客観的に見て、自分が駄目だということではない。

それが分からないから、自分を責め続け苦しむ。

人は自分が悪い人間だから苦しむのではなく、自分の存在を否定するから苦しむ。

自分が嫌いな人ほど、要求レベルが高い。

でも、要求レベルが高いのに、そのことに気づいていないから、果てしなく自分を責め続け、苦しまなければならない。

自分が要求していることが自分もできないということは他人もできないのだということが分からない限り、このとらわれから離れることはできないのである。


目の前にいる人を大事にする

人はみんなから愛されることはなく、みんなから嫌われることもない。

だから、一人の人から嫌われたからと言って落ち込む必要もない、みんなから愛されるような人間になるように努力する必要もない。

大事なことは、今自分のことを必要としてくれる人を大事にして、その人の喜ぶようにしてあげること。

それが自分の望んだ人ではないとしても、自分に近づいてくれる人は自分のことが好きだから近づいてきてくれるのだから、その人の為に時間を使ってゆく。

そうしたら、だんだんと自分のことを必要としてくれる人が増えてくる。

孤独になって苦しむことはない。

私たちは自分に近づいてくれる人を大事にしないで、それでいながら嫌われることを恐れている。

これでは最終的に自分のそばにいてくれる人は誰もいなくなってしまう。

まず目の前にいる人を大事にしないといけないですね。


正義とは恐ろしい

人は自分がされると嫌なことでも他人に対して平気でしてしまう。

例えば、自分の物を捨てられることは、とても嫌な人でも、他人の物なら、これ使わないだろうなあと思って勝手に捨ててしまう。

捨てられた人は、大事な思い出があったものなのに、どうして捨てるのだと思ってショックを受ける。

でも、そうやって、捨てた人が何かを捨てられたとしたらどうだろうか。

捨てられても仕方ないと思えるだろうか。

平気に捨てる人に限って、自分のものを捨てられると、何か自分の存在まで否定されたような気がしてショックを受ける。

それでも捨てる時は、相手は傷つくかも知れないけど、これは正しいことだからと思って簡単に捨ててしまう。

何が簡単に捨てさせるか。それは自分の中の正義が簡単に物を捨てさせる。

正義とは恐ろしいもの。人は正義の名の元に無慈悲になる。

どんなに相手が傷つくことであったとしても、これが正しいことだからと思って簡単に傷つけてしまう。

それでいながら、自分がされた時には自分が正しいと思っているから断固として相手がしていることを許さない。

私は思うことだが、たとえどんなに正しいことだとしても、相手を傷つけてしまった時は、相手を傷つけたのだと思って、相手の苦しみに目を向けてゆかなければならないと思う。

どんなにそれが正しいことであったとしても、相手が傷ついたならば、素直に謝る。

正しいことをしたのだから、傷つけていいんだと思うのではなく、傷つけて悪かったと思う。

そういう気持ちになれば、自分がやられた時も相手も悪気があってやった訳ではないと思って許すことができる。

何が正しいか何が間違っているかを問題にするのではなく、相手の心が傷ついたかどうかを見てあげたいですね。


子供のことを羨ましいと思うような子育てがしたい

子供と接していて思うことですが、子供との時間は自分が小さい時に親から与えてもらえなかったものを与えてもらえる時間なんだと思います。

とかく私たちは正義にとらわれている為に自分が小さい時に苦しい思いをしたことも、自分が親になると親が自分に対してやったことは正しかったのだと思って、子供に対してもやってしまう。

そうやって、大事な子供である筈なのに、自分が味わった苦しみを子供にも遭わせて苦しめてしまう。

人間正直になることは難しいことだが、正直になることが大切。

正直になることで、素直に自分が子供の時に受けたことは、苦しいことであり、とても可哀想なことだったと認めることができる。

だから、自分が苦しかった同じ苦しみも自分の大事な子供には味あわせたくないと思って、子供と接するようになる。

私は思う。子供はいいなあと。何故なら子供は自分が子供の時味わった苦しみを当たり前のように感じることなく生きてゆけるから。

自分の子供のことを羨ましいと思うような子育てがしたいですね。




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