自力称名のひとはみな |
自力称名のひとはみな 如来の本願信ぜねば うたがふつみのふかきゆゑ 七宝の獄にぞいましむる
自分の唱えた念仏をあて力にして、そこに価値を置いて、自分を善人の立場に置いている人は、自分の中にある悪を否定しているから、どんな極悪人も救うという阿弥陀仏の本願を疑っている。この疑う心の罪が深いから、いつも悪をしてはならない、善をしなければならないという善悪にとらわれて、本当に自由な世界に出ることはできないのです。
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幸せになるには |
世の中には、幸せになる人と不幸になる人がいる。
この違いはどこから生まれるのか?
それは自分にやってくる縁を如何に大事にするかどうかで決まると思います。 私たちは目の前に自分を幸せにしてくれる縁があっても、それが当たり前だと思って軽く扱う。また、粗末に扱う。その結果、幸せにしてくれる縁があって、自分の元から離れてしまい、不幸になる。
どんな人でも、自分を幸せにしてくれる縁があるものだ。でも、その縁の恩恵に預かりなから、受けているものを当たり前に流してしまい、不満ばかり思ってしまう。その結果、自分から離れてゆき、不幸になってゆく。
考えてみたら、私と一緒に長い間時間を過ごした人は私にとって大事な人。その人を自分を幸せにするご縁だと思って大事にしてゆけば、私はどんな環境にいても幸せになってゆくと感じます。
私たちの幸せは、一緒に過ごしている人と如何に幸せな関係を築いてゆけるかにかかっている。たとえ今思い通りにならないことが山ほどあったとしても、それを諦めず、一つ一つ繕ってゆく。その地道な積み重ねが自分を幸せにしてゆくのだと思いました。
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心がけが習慣となるまで続けてゆく |
仏教では、施しの心が大事だと教えてもらいながら、私は利害打算から離れられず、自分ばっかり動いていると損をしたように感じてしまう。
しかし、仏教から言ったならば、利害打算の心しかないからこそ、頑張って施しをしてゆかなければならない。それは利害打算の心しかないから、利害打算の心を正当化して、こんな心でやっていいんだと思ってやるのではない。利害打算の心しかないからこそ、この心を反省して、この心から離れてゆきたいから施す。
自分には利害打算の心しかないから無くならないんだと居座るのではなく、この心から離れてゆきたいと思って逆のことをやってゆく。
施しをしながら、利害打算の心があるなあと気づく。気づいた時に、情けないなあと思いながら、この心を少しでも無くしてゆきたいと思って、反対のことをしてゆく。みんな善はやりたくないものと思っている中、やりたいと思って善ができるようになりたい。
仏とは、善を愛する人。だから、やれと言われなくても、やりたいと思って自ら善に励んでゆく。善に励めば、励むほど、悪の自分が見える。それは悪い習慣が身についているから。この悪い習慣から離れる為には、自分の心と逆のことをしてゆく。逆のことをしてゆくから修行になる。
自分の心が幸せな心になる為には、いつも起こしている心に流されていてはいけない。心に流されず、いつも心から善に励んでゆくように心がける。
心がけが習慣となるまで続けてゆきたいです。
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利害打算の心しかないからこそ、施しをしてゆく |
やってみれば、大したことでもない、あまり時間がかからないことであったとしても、自分ばっかりやっていると、自分はあまり使わないのに、何で他人のためにやらなければならないのかという心が起きる。
それは根底には、自分はこんなに頑張っているのだから、当たり前のように流すのではなく感謝して欲しいという心があるのだと思うのだが、つくづく私は他人のためにやってあげたいという心の薄い人間であるなあと感じる。
仏教から言ったならば、施しは感謝されるからやるのではなく、他人に喜んでもらいたいという心が自分の幸せになるからやるのに、私は利害打算の心から、なかなか脱げ出せない。
でも、利害打算の心しかない自分だからこそ、この自分の心を変える為に、自ら進んで施しをしてゆくことが大切なんだと思います。
施しは相手の為にやるのではなく、自分の為にやる。心から相手に喜んでもらいたいと思えるようになるまで、自ら動いてゆきたいと思います。
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一つやったら一つ確認する |
私は自分のやったことを確認せずに、次に移ってしまう為、よく間違いを犯す。自分でもよくこんなに間違えながら、何とかその場を切り抜けることができてきたのだろうと、運の良さに感心する。
しかし、確認をするだけでミスがなくなるなら、これからミスのない人間になる為に、一つやったら確認して、次に移るようにしたい。
ミスはいつ起きるか分からない。だからこそ、一つ一つ自分のやったことを面倒臭がらずに確認してゆくようにしてゆく。
注意一秒怪我一生ということわざもある。ほんの少しのミスがあとで取り返しのつかないことになってしまうことがある。今まで上手くその場を切り抜けてきたからといって、これからも切り抜けられる確証はない。
一つやったら、一つ確認する。業となる所まで身につけてゆきたいです。
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