どうせ動くならば |
幸せになるとは、他人の為に気持ち良く、施しが出来るようになることだと思います。
反対に不幸な人はいつも自分が楽をすることしか考えず、少しでも他人の為に動くと、なんで自分がやらなくてはならないのかと思う人です。
他人の為に気持ち良く動ける人は、苦しいと思うことはありません。なぜなら嫌なことがないからです。
多くの人は他人の為に動かなければならなくなった時に、やらされているように感じて、他人の為に動くことが苦痛に感じます。
それが苦痛に感じることなく、他人の為に気持ち良く動くことができれば、多くの苦しみを感じることなく毎日を過ごすことができます。
どうせ動かなければならないのなら、気持ち良く動いてあげた方がいい。嫌々、やるから苦しい。
しかも、他人の為に動くことが楽しい人は、多くの人が苦痛に感じる所で楽しくできる。
結果、人生は楽しいものとなるのです。
動くことは種まき。その種まきを楽しくできるようになることが幸せになる為に大切なことなのですね。
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悲しいのは、悲しませた報い |
自分にやってくることは幸せも苦しみも自分に必要だからやってくる。
それは自分の姿を教えてくれるものだからです。
他人から無視されて悲しいおもいをしたら、それは自分も都合の悪い人に対して無視をしているから。
だから、この悲しい思いは、自分も他人を悲しませた報い。だから、自分が悲しかった分だけ、今度は自分も誰に悲しい思いをさせないように無視をしないように心がけたらいい。
自分がやっていないことは自分にやってくることはない。そして、やってきても悲しくはならない。
因果の道理を信じて、生きてゆきたいですね。
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貪りを離れる |
苦しみは貪ることによって生み出される。人は貪ることによって不安が生み出され、不安を誤魔化そうとして、余計貪ってしまう。
その為、欲望には限りがなくなり、欲望を満たすほど、苦しみが増してゆく。
だから、苦しみから離れる為には貪りを止め、今与えられているもので満足することが大事になります。
必要なものはすでに与えられている。
目を外に向けて、新たなものを求めるよりも、今あるものを大切にして幸せを育んでゆくことが、ずつと心が穏やかで幸せになれる。
いつも不足を言うよりも、今あるものを大事にして、幸せを生み出してゆくことが大切なことだと思いました。
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自分のためにみんながいる |
苦しみは自分の心で自分で否定することによって生み出される。否定された心は傷つく。傷ついた心から悲しみが吹き上がります。
悲しみとは、自分なんかここにいてはいけないのではないかと思う心。ここにいるのに、ここにいてはいけないと思うから悲しい。
でも、誰も自分がここにいてはいけないと思う人なんていない。いてはいけないと思うのは自分自身。
いてはいけないと思うから、ここにいたいと思って気を使う。それによって失敗したら、ここにいてはいけないのではないかという思いが起きる。
本当は失敗したからといって、ここにいてはならないと思う必要はありません。大事なことは自分が相手のことを必要とすること。
いてもいいんだろうかと思うのではなく、ここにいたいと思うこと。それが大事。
自分はここにいてもいいんだろうかと思うのではなく、自分のためにここにみんないて欲しいと思う。
みんなが必要としているから、ここにいてもいいと思うのではなく、自分がみんなを必要としているから、ここにいて欲しいと思う。
みんなの為に自分がいるのではなく、自分の為にみんながいる。
自分の心がみんなを必要とすれば、自分がいる所にみんなが集まってくると思いました。
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子育てとは |
子供は心をかけるから、心が育ってゆく。ただ食事を与えるだけでは肉体は育っても心は育ちません。
仏教から言ったならば、心を育てることが子育てであり、心を育ててくれた親に恩を感じます。
じゃあ、心を育てるとはなんでしょうか?
それは一番は見てあげることだと思います。
子供は自分の存在に対して不安を抱えています。 だから、子供が頑張っている姿をそばにいてただ見てあげる。
見てあげることで、子供は安心する。ここにいてもいいんだと思えるようになります。
子育てとは、親の持っている時間を子供のために捧げること。
それは自分は何もできないが、子供の心の成長の為にこれ以上素晴らしい時間の使い方はない。
子供の心の成長の為に時間を使ってあげたいですね。
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